沖縄の北西に浮かぶ島々、伊平屋島と伊是名島へ
ゆうゆう2023年6月号掲載
成田から那覇空港に飛び、やんばる急行バスで運天(うんてん)港へ。2時間半あまりの路線にしては、2000円の運賃は良心的だ。5月、沖縄はすでに梅雨っぽい陽気だった。
運天港からは、伊平屋(いへや)島、伊是名(いぜな)島へ、それぞれの村の村営フェリーが出ている。まずは、伊平屋島へ渡る。「フェリーいへやⅢ」は思ったより大きくてきれいな船内だった。
1時間20分で前泊(まえどまり)港に着いた。ターミナル内でレンタカーの借用手続き。これで自由に島内を回れる。とりあえず、島の南西、橋で結ばれた野甫(のほ)島へ行ってみた。前を走る島のバスは時速30キロほど、のんびり走る。展望台からは、雨に煙っているが、それでも十分に美しい海が見えた。
今夜の宿はホテルにしえ。ホテルと言っても2階建て。最近、映画撮影のスタッフが泊まったようで、その折の写真がたくさん貼ってあった。モズク酢、ムール貝、マグロとソデイカ刺身などの夕食をいただいた後、雨上がりの集落を散歩した。所々にサンゴの石垣が残る路地。明かりの灯った居酒屋が1軒あったが、まだコロナ禍の最中、立ち寄るのは自粛した。
翌朝、早起きして散歩。テッポウユリが咲いていた。海の向こうに、沖縄本島最北端、辺戸(へど)岬が霞んで見える。右手には、今日渡る予定の伊是名島が大きく見える。6時半、突然、集落内のスピーカーからラジオ体操の音源が大音量で流れ始め、びっくりした。
宿を出て、島内一周に出発。田名(だな)神社を経て、国の天然記念物、念頭(ねんとう)平松(ひらまつ)。巨大な傘を開いたようなリュウキュウマツは樹齢300年近い。
さらに北へ。クマヤ洞窟。褶曲したチャートの地層にできた海食洞。入口は狭く、大柄な人は通れなさそう。中は広く、祠が祀られていた。江戸時代、ここが天照大神が籠もった天の岩戸だと唱えた国学者がいたという。
その後、西海岸を南下し、昨日渡った野甫島を一周し、前泊港へ戻った。雨も降るので、ターミナル向かいの歴史資料館を見たいと思い、開館時間の11時を待った。が、時間になっても開く気配がない。電話しても繋がらないので、ターミナルの観光協会で事情を話すと、担当の教育委員会へ連絡をして、係員が来たら教えてくれるという。土産物を見たり、昼ご飯を食べたりして待ったが、12時過ぎても開かない。12時半頃になってようやく女性がやってきて戸を開けた。展示はわざわざ待つ甲斐もなかった程度で残念。
さあ、野甫港へ急がなくては。実は、伊平屋島と伊是名島を直接結ぶ定期航路はない。事前に海上タクシーを手配しておいた。その船が迎えに来てくれるのが野甫港。レンタカーは乗り捨て料金を払った。しばらく待つと、クルーザーがやってきた。30分ほどの快適な航海で、伊是名島の仲田港へ。
こちらでもレンタカーを借りて島内を巡る。島は、琉球王国の国王となった尚円王(しようえんおう)の生誕地。公園には、金丸(かなまる)と名乗っていた若い頃の銅像が立つ。
細長い伊平屋島より小ぶりで円い伊是名島の方が回りやすい。島と同名の集落、伊是名は、サンゴの石垣とフクギの屋敷林が残る美しい町並み。フクギの花がたくさん散っていた。
雨が止まないので、ふれあい民俗館に行ってみると、シャッターが下りたまま。役場に電話すると、これまた教育委員会の担当。結局、翌朝にならないと入れなかった。
この日の宿は、民宿まる富(とみ)。お向かいで居酒屋を経営してるので、夕食はそちらでいただいた。カツオやカマス、マグロの刺身も、ビジュンという小魚の唐揚げも美味しかった。その上、島で醸造された泡盛の古酒は1杯500円と安いのに、とても旨かった。