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2024年6月 道北の旅、天塩弥生駅旅人宿

そもそも、礼文島の後は利尻島へ行く予定だったのが、マラソン大会のため全島満室だった。で、どうするかと考えたら、道北周辺はあまり馴染みがないことに気がつき、結果的に2泊とも“とほ宿”に泊まることになった。今夜はかつての駅舎、天塩弥生駅を宿にした所。近くなので、朱鞠内湖に寄ってみた。

日本最大級の人造湖は釣り人のメッカでもある。幻の巨大魚、イトウを釣ろうと外国から訪れる人もいる。後ろ姿の左側2名は中国かな、右の現地ガイドに案内されていた。
大小様々な島が浮かび、数多くの複雑な入江がその景観を引き立てている。

さて、宿に向かうか。

いやあ、いかにも昔ながらの駅舎。と思い込んで、すっかり騙された。
宿の周囲には大量の薪。年中営業していて、冬の暖房は薪ストーブのみ。丸太を安く分けてもらって、宿主自身が薪割りをして3年間乾燥させてから燃料として使用しているという。
チェックインすると、硬券がもらえる。部屋は急行天北、寝台は2号車6番下段。1泊2食付き、なんと、5500円。後で聞いたら、こうした硬券や駅名標などは、専門に作ってくれる店があるのだそうな。
急行天北室内。現在は、宿泊客数を少なく絞って、2段ベッドの上段は使用していない。

荷物を置いて、宿の周囲を見て回る。周囲にはちょっとしたシラカバ林と広大な草っ原が広がっている。

天塩弥生駅は元々、開業時には初茶志内駅という名称だった。
宿主ご夫婦の自宅にもこんな看板がたくさん掲げられている。
ワスレナグサが咲いていた。
白いオダマキ。普通の青いオダマキも咲いている。
エゾノコリンゴ。
センダイハギ。

ご主人の生まれは北海道。お父さんが炭鉱で働いていたが、閉山となり、関東へ。国鉄に就職し、民営分割前に京王電鉄へ転職、その後、北海道で林業などに携わり、8年前からこの宿を始めている。9年前に名寄市から土地を買った時には、荒廃した空き地。周辺の草っ原ごと買わされて、今も置いてあるユンボ2台できれいに整地したそうだ。駅舎跡は解体した際の廃材などが埋めてあって、処分も大変だったという。
え、じゃ、この建物は? そう、全くの新築。外観は古びて見えるようにアンティーク加工してある。内装は、断熱材もしっかり入れ込み、窓も2重ガラス。従って、零下40℃にもなるという真冬でも、薪ストーブだけで建物全体の暖房が可能となっている。

室内の至る所に所狭しと飾ってある鉄道関連ものも、本当に使われていたものもあれば、それ風に作ったものもある。混沌としていて素人目にはさっぱり分からない。
描かれている事項は、歴史的事実に基づいているようだ。
イマドキのお洒落で高性能な薪ストーブではなく、廃材利用の薪ストーブが冬は大活躍。
深名線最後の日を報じる地元新聞。

夕食は、5500円とは思えぬほどの内容だった。

タコとウドの酢味噌和え、卵蒸し物、豆腐の出汁と豆乳煮、カレイ煮付けアスパラ添え、アスパラ入りハンバーグ、モズクと魚すり身汁、漬物、ご飯。

聞いたら、奥さんはかつては栄養士だったという。プロじゃないですか。まさかのご馳走。材料は宿の周りで採れるものが大半とおっしゃるが、アスパラは新鮮で美味しい。

セコマで買ってきた日本酒を飲みつつ、あれこれ話を聞かせてもらった。この日、同宿者は常連の女性が1名のみ。割引き回数券を持っていた。

実は、ご主人は昨年、ガンが見つかり、手術。退院後、すぐに再発。宿もしばらく休業していて、ようやく今年のGWから、宿泊人数を少なくして、営業日も少なく限定して、再開したばかりだった。闘病中の現在、できることから少しずつやって、病気を追い払いたいと意欲満々だった。

食後、飲み続けようとすると、奥さんがつまみにとアスパラを焼いて下さった。
同じ弥生の名前に惹かれて置くようになったという奄美大島の黒糖焼酎。名瀬の蔵元とも交流が始まったそうだ。あれこれ面白い話をたくさん聞かせていただいた。

翌朝、起きると、これまでとは明らかに気温が違う。20℃近くあるのではないか。そういえば、昨日も昼間は暑かった。礼文島や稚内はあんなに寒かったのに、このあたりは全く気候も違うようだ。宿の周りを散策。

宿の前の道路沿いにバス停。バス路線も便数が削減されているようだった。

朝ご飯も充実していた。なんと、今は幻となってしまった、音威子府駅の駅そばの再現版。駅蕎麦屋も製麺所も二度と当時の蕎麦は作らないと言ってるらしいが、千葉県の製麺所が、工夫をして音威子府駅駅そばに近い麺を復元しているらしく、それを買って朝食の汁代わりに出してくれる。これには感激。

アスパラの酢漬けの漬物も素晴らしく旨かった。
この宿にはさぞかし鉄ちゃんが大勢来るのだろうと思ったら、そうでもないという。廃線マニアはそれなりに来るらしい。クラシックカー愛好家はよく来るとも。そして、愛車とこの宿を撮影していくのだそうな。この写真はそんな愛好家が、撮影した写真をアンティーク加工して、送ってきてくれたもの。

こちらの宿も期待以上で大満足だった。
さあ、今日は稚内空港から帰る日。まずは、サロベツ湿原に向かう。

途中、道路沿いに広大な菜の花畑が現れて、驚いた。菜種油でも搾るのかしら。

サロベツ湿原は、2011年7月に山仲間たちと礼文島の帰りに初めて訪れた。その後、2016年にテシオコザクラを見に北大研究林に行った帰りにも寄った。それ以来。

もう少し後だと、一面にエゾカンゾウが咲いて写真映えするんだけど。今は地味景色。でも、よく見れば、ミツバオウレン、ショウジョウバカマ、ハクサンチドリ、ホロムイチゴなどかわいい花たちが、ここそこに咲いている。
イソツツジ。
湿原の向こうに利尻富士。
タテヤマリンドウ。
コツマトリソウ。
ほとんど終わっていたが、少しだけ咲き残っているミズバショウも。
久しぶりのご対面、ミツガシワ。白いケブケブした長めの毛がなんとも言えぬ愛らしさ。

木道をざっと一回りして、稚内へ向かう。昼メシは、セコマで仕入れて、空港で一杯やりながら食べることになった。

なるべく北海道産の材料を使用したおかずや巻物を選んだ。稚内空港の最上階、展望室で海を眺めながらのビアランチタイム。

帰りの飛行機からは、行きには見えなかった利尻富士や、1ヵ月後に訪れる天売島焼尻島も見えた。

手前が焼尻島、奥が天売島。

問題はその後、だった。17時半過ぎに羽田空港到着予定のはずが、空港に向かって降下したのに再び機首を上げ上昇。天気急変、激しい雷雨のため、こちらは日も差している房総半島上空で旋回待機、さらに太平洋上で旋回。結局、定刻の1時間半遅れで着陸できた。あー、しんど。


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