2020年10月 石巻から田代島、網地島経由、鮎川港へ

画像1 堤防のかさ上げ工事が終わった北上川河口近くに網地島ラインの中央港があった。川の中州の島には漫画美術館のドームが見える。
画像2 昔は北上川中州に瓦屋根で立っていた正ハリストス教会。石巻グランドホテルのすぐ隣に立っていて驚いた。
画像3 石巻は石森章太郎の町。町の至る所に石森漫画のキャラクターが飾られている。ロボコン。
画像4 こちらは星の子チョビン。
画像5 サイボーグ009関係の像も非常に多い。
画像6 中央港を出航したシーキャットは、海沿いの門脇港を出ると外洋へ。行く手には、寄港するふたつの島、田代島と網地島が霞んで見えた。
画像7 シーキャットの操舵室。もう1隻のマーメイドⅡはドック入りしていて休航中。
画像8 田代島は最近ではすっかりネコの島として有名になった。もともと昔からネコは多かったようだが、大震災前ぐらいから話題になり、震災後はネコの島を救おうと多額の募金を集めたことでさらに知られるようになった。ここは猫神社。もちろん周囲にネコが何匹もいた。
画像9 土産、食事などができる島のえきは田代島の真ん中あたりにある。廃校を活用した施設。表のウッドデッキに数十匹のネコがいた。
画像10 マンガアイランドへ行く途中、子ネコがたくさんいた。中でも黒いコイツが一番可愛かった。
画像11 マンガアイランドは漫画家達がデザインしたコテージが建ち並ぶ。もちろんここにもネコはいて、何しに来たとばかり、すり寄ってきた。
画像12 田代島の大泊港で下船して、島を縦断して歩き、もうひとつの港、仁斗田まで出た。海の近くにクロネコ堂というカフェがあった。カウンターも人のためかネコのためかよく分からない。
画像13 クロネコ堂の名物は、ネコカレー。フツーの家庭のカレーだが、まあ見栄えはしますねえ。インスタ映え、ってやつですか。
画像14 クロネコ堂の前に小さな木の船と白い椅子が2脚、置いてあった。ぼんやり海を眺めていたくなる。
画像15 ネコが多い、少ない、という標識は初めて見た。田代島仁斗田港近くにて。
画像16 朝1便で大泊まで、2便は13時半過ぎに仁斗田港へやってきた。これに乗ってお隣の網地島まで。
画像17 網地島の網地港で下船、民宿で電動自転車を借りて、島の反対側の港、長渡港まで。30分もかからない。
画像18 長渡港からさらに先っぽへ進むと、網地島最南端、涛波岐埼(どわめき)灯台。なかなかの絶景。
画像19 灯台の左手へ行くと、高台があって、正面に金華山が見える。本当は渡りたかったが、日曜でないと定期船は出ていないので断念。
画像20 網地島めぐりのお供をしてくれた電動自転車。島の縦断路は高台へ登るので、電動でないと少々しんどい。
画像21 網地港近くの浜辺には、ベーリング海峡の名付け親、ロシアの探検家ベーリングの像が立つ。日本との通商ルートを開拓するために網地島近くに錨を下ろし、島人は船に魚や野菜などを売りに行ったと伝わる。
画像22 網地島、長渡港から最終便で鮎川港へ向かった。夕陽に見送られるようにして鮎川港へ入港した。タクシー会社に何度も電話したが繋がらず、結局、宿の女将さんに迎えに来てもらった。
画像23 鮎川港から車で15分ほど、この日の宿は牡鹿半島先端近くの民宿、後山(うしろやま)荘。1泊7500円だが、写真以外に、熱々の茶碗蒸し、焼きたてタチウオ、揚げたてカキフライとクジラ竜田揚げなど出してもらった。食べきれないほどのご馳走だった。
画像24 酒は地元宮城県の墨廼江。刺身だけでも6種類、アンコウ共酢和え、ホヤ酢、イナダ味噌たたきなど、どれも本当に美味しかった。
画像25 後山荘、朝ご飯もおかずがいっぱい並んだ。朝から思わず一杯やりたくなるくらい。
画像26 後山荘。昔は海岸近くに立っていたが、東日本大震災の津波で水に浸かり、高台に新たに新築した。
画像27 後山荘客室から海岸の眺め。今もなお港の工事が行われている。ここだけではない。津波の被害にあった土地では、まだまだ復興途上でしかないことを改めて思い知らされた。
画像28 後山荘のすぐ裏手には、貴重な十一面観音を祀ってきた十一面観音堂が立っている。うしろやま、の地名はここから名付けられているのではないかと思った。
画像29 十一面観音堂の鈴紐の先には、5円玉がたくさん結びつけられていた。
画像30 後山荘近くの空き地に積み上げられていたホタテ貝殻。このあたりではカキの養殖が盛んだが、最近では値がいいワカメ養殖に切り替える人が多いそうだ。

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