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2024年7月 札幌、小樽

天売から高速バスで札幌へ戻り、1泊。

札幌駅から大通りやすすきのへ向かう地下街がすっかり広々ときれいになっていてビックリ。

翌日は午後に小樽へ移動。午前中は野幌森林公園で花見散策のつもりだったが、天気は悪い。午前中は雨雲レーダーで確認しても雨予報。しょうがない、図書館へ行くか。

かっこいい車両が走っているんだなあ。
よく考えたら、札幌で市電に乗ることはほとんどない。西四丁目から外回りに乗車。え、西四丁目の大通りは市電は道の両脇を走るのか。知らなかった。西へ曲がると、フツーに道路中央を走り始めた。新しい低床車両も多く走っている。女性運転士さんも多いなあ。

図書館に併設されている埋蔵文化財センターを見学。

これはレプリカだった。縄文晩期の土偶。
郷土資料コーナーで焼尻の昔の写真集を見つけた。資料館になっていた小納家当主の写真集。ご子息が編集している。写真自体は資料館でも見たものが多いが、説明文が面白かった。

図書館の地下には食堂があったので、早めにランチタイム。

餃子スープランチ。味は味噌味をチョイス。350円。ほどよい分量。なかなかいいなあ、この食堂。日替わりランチは500円だった。

札幌からエアポート快速で南小樽まで。駅に、高校時代の同級生で1年前に岐阜からこっちへ移り住んだAさんが迎えに来てくれた。息子が小樽で仕事をしており、孫が昨年生まれるのに合わせて手伝いも兼ねて近所に部屋を借りたという。
あいにくの雨。本当は積丹岬へ行きたかったのだが、これじゃ行ってもしょうがない。手宮の縄文洞窟を見に行った。博物館のすぐ脇。

陰刻画と呼ばれる様々な紋様が岩肌に彫られている。慶応2年に発見された。同様のものは、近くにあるフコッペ洞窟にしか国内では見られない。ユーラシア大陸には似たような彫刻が見られる。昔はこれは文字だと唱える説が有力だったようだが、今では角を持つ人や手に杖を持つ人などが描かれているとされる。

他にどこかへ行くにしても中途半端なので、ホテルに送ってもらった。夕食は居酒屋を予約してあるので、直接18時に店へ行くことにした。

ホテルはグリーンホテル。1泊素泊まり7000円。札幌に比べて小樽は高い。
安ホテルだが、隣に温泉があって、24時間入浴できる。まず、一風呂。

サウナにも入ったので、本当ならビールをグビッとやりたいが、夕食まで我慢することにした。
ちょっと早めにホテルを出て、小樽駅など見てから、ブラブラ店のある花園を目指す。

立派なアーケードのある都商店街だが、ほとんどシャッターが下ろされた店ばかりだった。1本東側のサンモール商店街もアーケード街。こっちはまだ店がちらほらあって健在。

そして辿り着いた花園は、辺り一面が昭和の香りに溢れていた。その小路の奥に目指す、北海道料理かすべ、はあった。

小路の突き当たり、蔦のからまる建物が、かすべ。
店内のこあがりは石原裕次郎コーナー。幼少期を小樽で過ごした石原裕次郎。その縁でかつては記念館もあったが、今はない。その資料が移されたのかな。創業者と裕次郎は小学校の同級生だったそうで、裕次郎が軍団を引き連れて小樽に来ると、必ずこの店に通っていたという。
漁船の手前に長い1枚板のカウンター。まだ他に客はいなかった。

この店、もともとは50数年前にロシア料理の店としてオープンしたという。その後、北海道料理をメインにした居酒屋になったが、当時、常連客だった大島渚が、かすべ(エイ)の干物が北海道に似ているから店名にいいのではないかと助言したという。後に、店は兄から弟に引き継がれ、今に至っている。マスターはこの日不在。

小樽ビールは美味しいからと、Aさんが勧めるので飲んでみた。正直、さほど美味いとは思えなかったが。
かすべの煮こごり。骨まで食べられる。つまみで注文したニシンの切り込みも旨かった。
刺身の盛り合わせ。右から、ヒラメ、ニシン、ソイ、ハッカク、ツブ貝、ホタテ。どれも旨かったが、ニシンとハッカクはとりわけ。

小樽の日本酒などもいただき、ぼちぼち他の客も入ってきた頃、次の店へ向かった。事前に、音楽系のバーを探してあったので、そちらへ向かう。レノンハウス。名前からして、ビートルズ好きのマスターがやってるんだろうと思われる。中へ入ろうとしたら、ガラガラでカウンター席に座っていたマスターが、うちは会員制なので一見さんはお断りなんだけど、などとふざけたことを言う。でも、どちらからですか、と訊くので、千葉県から、と答えたら、それじゃあせっかくだから入って下さいとなった。

マスターはひとつ年下、昭和30年生まれ。エピックソニー立ち上げの時に働いていたというから、バンド仲間のソニー関係の連中の名前をあげてみたが、5~6年しか働いていなかったそうで、直接の繋がりはなかった。故郷に戻って、バーを開いて、ずっと続けてると。

イマドキだなあと思わされたのは、会話していて、昔どんな感じで洋楽と出会ったかなんてこと話していると、すぐさま、その楽曲のYouTube画像を流してくれる。次々、BornToBeWild、BluesBrothers、TravelingWilbury、もちろん、ビートルズやストーンズ。おしゃべりも弾み、気がつけば23時半を回っていた。

LPはもちろん、古いシングル盤もたくさん置いてあった。しかも、言えば、即座に取り出してくれるのが凄かった。
ジョンのサイン入りギターはさすがに本物ではない。

ホテルに戻って爆睡。翌朝は5時には目が覚めた。朝風呂に入ってから、散歩。北運河を目指す。

後ろに立つのは旧日本郵船小樽支社。修理工事中。手前は運河公園となっている。朝ドラのらんまんにも登場した、牧野冨太郎の高知時代の同級生で、後にアメリカに留学して土木建築を学んで帰国し、小樽港の現在でも使われている防波堤を築いた、廣井博士の胸像。

運河公園の手前には漁協の卸売市場があって、人々が出入りしていた。

いわゆる観光客が目にする小樽運河。もともとはこの倍の幅で、北運河は当時の幅のまま。1966年、小樽市は運河をツブして道路拡張計画を作ったが、市民から反対運動が起こり、結果的に幅を半分して残すことになり、観光資源として一帯も整備された。その反対運動の中心メンバーの中に、なんと岐阜出身の人がいたのだという。へえ、驚いたね。
旧手宮線の線路も撤去されずに残っている。

朝ご飯を食べて、ロビーで漫画を読みながら、Aさんを待つ。

ちょっと前に泊まったどこかの宿で、このシリーズの1~2巻を読んでいた。ちょうどいいや、続きを読もう。3~5巻を読ませてもらえた。

さて、迎えの車が来てくれて、今日は余市のフゴッペ洞窟へ。こちらの方が、手宮洞窟より規模が大きい。

残念ながら展示物や洞窟内は撮影禁止。手宮より、刻画の件数ははるかに多く、彫りも深いのではっきりその形が見て取れる。時代的にはどちらも続縄文期、2000~1500年前ぐらい。羽や角をつけ仮装したような人、舟、海獣や鹿などの動物、などなど見られる。日本ではここと手宮にしか見られないというのも不思議なこと。
入館料300円。ちなみに手宮洞窟は100円だった。

近くには環状列石もあるというので行ってみた。

西崎山環状列石。中心に石を立てたサークルがいくつも作られていた。先日訪れた秋田県の伊勢堂岱や大湯環状列石のような大きな円ではない。ただ、ここも秋田や青森の多くの縄文遺跡同様、台地の先端に作られていて、日本海を見渡すことができた。

小樽に戻ろうと走っていたら、天狗山山頂近くに来たので、山頂に寄って見た。シマリス公園があり、まるで岐阜の金華山みたいだと笑い合った。

小樽の町を一望する。港の沖に真一文字に伸びているのが、明治時代に廣井博士が造った防波堤。現役で使われているのが信じられない。

昼メシは、シロクマ食堂で。ちょうど食事を済ませたお客さんがいたので、満席のカウンターにすんなり座ることができた。店内至る所にシロクマの絵や人形がある。

あとで店名の由来を聞いたら、とにかく動物の名前を付けたかったのだそうで、シロクマが先にあった訳ではないのだそうな。エゾシカでもアザラシでも。
食べたのは、牛トロフレーク丼うにのっけ。牛も甘くて、そこへウニが加わると旨味が増して美味しかった。Aさんが食べたカニみそクリームスパゲティは人気メニューのようで、そちらもとても美味しそうだった。

名残惜しいが、そろそろ小樽駅へ。ありがとう、と車を見送って別れ、改札へ向かうと、なんと新千歳空港行きの快速エアポート、3本が運休となっているではないか。30分以上後の列車で札幌で乗り換えて空港に向かっていては慌ただしそう。駅前にバス乗り場があるのでそっちへ行くと、ちょうど札幌行きのバスが出るところだった。

同じように急遽バスに振り替えた人もいたせいか、バスはほぼ満席だった。

これで安心、と思っていたら、甘かった。まず、終点の札幌駅前は、ちっとも駅前ではなく、道庁の前。速歩で札幌駅へ向かう。余裕をもって間に合う快速は間に合わず。ただ、次の快速でも飛行機出発の40分前には空港に着く。やれやれ、とホームで列車を待っていたら、今度はその列車が遅れているとアナウンス。JR北海道、何をやっとるんじゃ。結局、20分遅れで発車。空港駅に着くや、ダッシュ。エスカレーターを駆け上り、ハアハア言いながら搭乗口へ辿り着き、なんとか間に合った。こういう時に限って、飛行機も遅延しないんだな。

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