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2021年8月 島原で砂守勝巳写真展

7月3日から島原市で黙示の町の写真展をすると、案内をもらっていた。今から30年前、普賢岳が噴火して大きな災害が起きた。それを写真家砂守勝巳は、災害の2年後から何度も現地入りして取材をし、黙示の町、という個展を東京、大阪で開いた。現地ではその写真展は開かれなかったが、このたび災害30年の節目にお嬢さんが働きかけて実現した。

砂守さんとは長い付き合いだった。彼がまだ大阪にいる頃、初の写真展を見ていた編集部の先輩から教えられて大阪特集の取材を依頼したのが始まり。その後、何度か取材をしてもらったが、そのうち彼は上京し、フライデー創刊から専属カメラマンとして大活躍する一方、自分のテーマを次々作品に仕上げて、やがて土門拳賞受賞にまで至ったが、57歳の若さで亡くなってしまった。お嬢さんが、遺品の作品やフィルムを管理し、写真展をコンスタントに開き続けている。

長崎県も現在は新型コロナまん延防止地域に指定され、県も独自に緊急事態宣言を出していることもあり、出かけるのはやめようかとも思ったが、現地の写真展会場に電話してみると、十分に注意してお越し下さいとのこと。久しぶりのジェットスターで長崎へ飛び、格安レンタカーを借りて、島原半島へ向かった。道路脇には波穏やかな有明海。海の向こうは熊本県。今日もうんざりするほど暑い。

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島原市のホテルにチェックインし、あるいてすぐの「まちの寄り処 森岳」へ向かう。細い通りの両側には古い民家が建ち並んでいる。あとでこの道は昔の長崎街道だったと教えられた。

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通りの両側の溝の中は、じゃあじゃあ水が流れる音。所々に湧き水の飲泉場もある。そして、所々の家の玄関に飾られた注連縄。伊勢神宮付近の民家は1年中、注連縄をかけるが、同様のことなのか。これは後で聞いたら、重い話だった。隠れキリシタンが多かったこの地域、ウチはキリシタンでないという証拠のため飾ってきたのだという。クリスチャンとそうでない住民とが和解したのは最近になってとも聞かされた。よそ者には計り知れない歴史。

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さて、立派な古民家が写真展会場のまちの寄り処森岳。登録有形文化財。

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会場は2階。太い梁が目立つ。

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東京で行われた昔の写真展は見た。が、その時、どうして砂守さんは普賢岳災害を追いかけたのかと思った。カメラマンなど多くの報道関係者が亡くなったからかなあと当時は思っていた。「人の気配すらしない町。それでも人びとのにおいは今も累々とただよう」と彼は書いた。

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下へ下りて、ここを管理するNさんと話をした。今年80歳というNさんは、40歳の時に東京から故郷に戻り、以来、古民家再生などの設計の仕事をしてきたという。ここも彼が蘇らせた。砂守さんが島原へ取材に来た時から、案内をしたり、やりとりを続けて来たそうだ。お隣の小浜温泉の古い温泉旅館を解体した時に、天井の材木をもらい受け、御縁のある方々に差し上げてるんですとおっしゃり、貴重なものを1枚いただくことになった。

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その後、元市役所職員という方も、いらっしゃって、あれこれお話を聞かせてもらった。実は、数日前にBSで地元放送局が今年5月に放映した災害30年記念のドキュメンタリー番組を観た。なかなか良い番組だったが、そこで紹介されていた「定点」と呼ばれる、報道関係者が撮影のため位置取りしていて、火砕流に巻き込まれて大勢が亡くなった地点が公園として整備されたと知り、行きたかったが、彼らによれば、今は県の緊急事態宣言で、立ち入り禁止になっていると知り、実に残念。話を終えて、表へ出ると、木製の布袋様がマスクをして立っていた。

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すぐ近くに島原鉄道の駅がある。なかなか立派な駅舎。

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一度、ホテルに戻り、夕食のために町中へ。アーケードの通りは、シャッターがおりた店ばかり。珍しく営業中の洋品店のウィンドウには、ご主人が写真好きらしく、カメラがずらり。

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あらかじめ、やっていることを電話で確認した、ほうじゅう、という郷土料理の店へ。生ビールと、手作り豆腐と刺身盛合せ。豆腐は甘味があって美味しかったが、刺身はサーモンやマグロなんてのはいらないなあ。カウンター席の右端に座ったが、左端には常連らしきおじさん。調理場とカウンターとの間はビニールカーテンで仕切ってあるが、包丁を握る大将はノーマスク。あちゃ。途中の飲食店は休業中か、開いていても緊急事態宣言により酒類提供は19時まで、などとそれなりの対策はしているようだが、実態はお粗末。ビールの後は地元の米焼酎を。ボトルで持ってきて、吞んだ分だけ精算するという。

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この土地らしいものを、と頼んだのはフグ盛合せ。フグと言っても小さなやつだな。湯引きと唐揚げ。これはなかなか旨い。それからクジラもよく食べるようで、あれこれメニューにあるが尾羽クジラを。サラシクジラだな。酢味噌でいただく。

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ありゃ、大将が左の客の隣に出てきて一緒に呑み始めた。こりゃ長居は無用。精算してもらった。店内にこの町らしく水が流れる水路があったり、面白いのだが、長居は危険過ぎる。

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ホテルに戻り、大浴場で汗を流してさっぱりしてから、パラリンピックを見て寝た。

翌朝、5時過ぎ起床。さすが西の方だからまだ暗い。5時半、ウォーキングに出た。昨日来た長崎街道筋。照明がいい雰囲気を出してる。

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お城は広い堀に囲われている。

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そして、城の近くには武家屋敷跡。茅葺きの屋敷も残っている。

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辻、辻に石の供養塔などが立ち、湧水の飲泉場があちこちにある。ここも水の流れの音が絶えない。

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石垣の塀が続く。

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町中に戻ると、湧水を汲む人もいた。そして、こちらは水ではなく、温泉。奥は足湯。

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昨夜の店の脇には、鯉がたくさん泳いでいる。

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さらに、日本百名水、浜の川湧水。入り組んだ路地の中に湧いていた。豆腐屋、名物のお菓子を食べさせる店が取り囲んでいる。

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水場の使い方がきちんと示されている。

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さらに歩くと、公園に蒸気機関車。島原鉄道で走っていたC12。

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すぐ近くの島鉄の小さな駅。

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朝食後、チェックアウトして、土石流被災家屋保存公園へ。当時のまま埋もれた民家が保存されている。

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定点は立入禁止だけど、砂防みらい館という施設へ行けば、そこから定点を見渡せると聞いていたので向かったが、休館中で立ち入れず。普賢岳はかなり迫って見える。

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その隣は、砂守さんも撮影していた旧大野木場小学校。

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唯一、入館可能な施設、雲仙岳災害記念館、通称、がまだすドームへ。

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火砕流、土石流などについて、迫力満点のCG映像や、解説展示がされている。そして、江戸時代に起きた普賢岳や眉山の噴火、地震、津波災害を立体紙芝居にした演目など、子供達でも理解しやすいように工夫されている。

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テレビ番組で紹介されていた、亡くなった新聞カメラマンの弟さんが監修したという展示も。

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建物の外へ出ると有明海。海を渡るフェリーが見えた。

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この日、9月1日、記念館2階には火山学者太田一也さんの記念室がオープンした。太田氏は噴火当時、九大島原地震火山観測所長だった方で、記念館オープンに際しても尽力されたとか。

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最上階、展望台から普賢岳、眉山を眺める。右手前が眉山(まゆやま)。江戸時代にこの眉山が山体崩壊し、津波を起こした。

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