2020年10月 三陸海岸南下、八戸線~三陸鉄道~BRT大船渡線・気仙沼線

画像1 大人の休日倶楽部パスで旅に出た。三陸海岸をずっと南下するのが目的。まずは新幹線で八戸駅へ。そこから八戸線で久慈を目指す。列車は2両、海岸沿いの単線を走る。
画像2 宿戸(しゅくのへ)駅の先、左手に砂浜が現れた。
画像3 久慈駅から先は三陸鉄道に乗り換え。東日本大震災の被害から復興全線開通したのが6年前。昨年にはJR山田線部分を移管されリアス線として運転再開されたが台風の被害で不通区間発生、今年3月にようやく全線復活した。
画像4 三陸鉄道、十府ヶ浦海岸駅。高台に立つ駅。ここで対向列車とすれ違い。
画像5 野田玉川駅には、懐かしいドラマ、あまちゃんのロケ地という掲示が出ていた。
画像6 安家川(あっかがわ)橋梁、列車は案内放送をしながら徐行運転をしてくれた。
画像7 三陸鉄道、1両きりの車内は、おとQパス利用のジイサンバアサン客で満席。
画像8 こちらは大沢橋梁。反対側には赤い国道橋が架かっている。ここも徐行運転。
画像9 水門の上に三鉄の車両らしきものが載っていたが、何のオブジェかしら。海岸沿いには至る所に高い防潮堤が設けてある。
画像10 初日は宮古まで。宿は海縁の高台に立つ休暇村陸中宮古。宿舎裏手の遊歩道に出れば、南に名勝浄土ヶ浜が見えた。
画像11 休暇村の遊歩道沿いには秋の花々が咲いていた。キバナアキギリ。
画像12 これも休暇村遊歩道沿いに咲いていた、クルマバハグマ。
画像13 翌日が中秋の名月、1日早いお月様が海の上に浮かぶ様子を休暇村遊歩道から眺めた。
画像14 2日目は宮古駅からスタート。駅前のさんてつやは三陸鉄道関連グッズと土産物の店。
画像15 井上ひさしの小説で有名になった吉里吉里駅。
画像16 こちらへ足を運んで、改めて、東日本大震災はまだまだ終わった話でないことを実感した。至る所で防潮堤や水門などの工事が現在進行形で行われていた。
画像17 釜石の手前、鵜住居(うずまい)駅近くには、ラグビーワールドカップの会場として使用されたスタジアムが建っていた。
画像18 盛駅から先は、JR大船渡線BRT。三陸鉄道に乗ってきた乗客の多くがバスに乗り換えた。
画像19 BRTとはBus Rapid Transit、線路跡を舗装した専用路をバスが走る。行く手に踏切が現れて驚いたが、自動車用の一般道路と交差する箇所は、一般道路側の信号が赤になった時点で踏切遮断機が上がって、BRTが通行できる仕組み。
画像20 東日本大震災の津波の被害が大きかった陸前高田は、駅舎が設けられていた。
画像21 陸前高田駅の次の停車は、奇跡の一本松駅。立派な公園として整備され、広大な駐車場には多くの自家用車や観光バスが停まっていた。
画像22 奇跡の一本松、なんとかまだ立ってくれていた。がんばれ。このあたりも復興工事はまだまだ終わっていない様子だった。
画像23 気仙沼駅にはピカチュウ。ポケモン列車が走ったり、いろいろイベントも行われているらしい。
画像24 気仙沼駅から先は、今度はJR気仙沼線BRTに乗り換え。気仙沼駅で下車したり、一関方面へ乗り換えたりする人が多かった。
画像25 BRTはずっと専用路を走る訳ではなく、工事中の箇所などは一般道へ下りて走行する。途端に乗り心地が悪くなる。
画像26 BRT区間も左手車窓には海が見える区間が多かった。
画像27 列車が走っていた頃はトンネルだった部分も多く、カーブも緩いし、勾配もきつくなく、舗装もしっかりしているので、乗り心地は実に快適。
画像28 BRT区間は柳津駅で終わり。ここまでは線路が生きている。結果的に終着駅のような形になってしまった駅だ。
画像29 柳津駅待合室に貼ってあった気仙沼線時刻表。行き止まりだから、上りしか列車はない。
画像30 柳津駅から前谷地駅で乗り換え、石巻駅で下車した。ここは石ノ森章太郎が街中に溢れている町。

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