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早池峰山東麓の森の中、蚊帳で眠る贅沢な一夜

 一昨年夏、恒例の18きっぷで、岩手県を目指し、鈍行列車の旅に出た。

 盛岡で1泊した後、レンタカーを借り、友人の写真展を開催中の石神の丘美術館へ。テーマは日本の離島。学生時代からずっと島を旅し続けてきた人ならではの説得力が伝わってくる。

 香りの良い十割蕎麦を食べた後、盛岡へ戻り、早池峰山へと走る。太平洋まで続く国道から山中へ分け入り、一軒宿、横沢温泉静峰苑で、まずは立ち寄り湯。クセのない素直な沸かし湯。

 そのまま林道を進むが、思ったよりちゃんとした道路。今夜のお宿は、タイマグラ(アイヌ語で森の奥へと続く道)という地にある。10数年前、ドキュメンタリー映画「タイマグラばあちゃん」が世界各地の映画祭で受賞し、話題になった。前述の友人が、以前から勧めてくれていた宿。

 森の中に素朴な木造の建物が立つ。山小屋フィールドノート。早池峰山東麓、標高500mの地。戦後の開拓当時の小屋を宿にしたのは、それまで北アルプスなどの山小屋で働いていたご主人。昭和の終わりのこと。残念ながら、今日は不在。

 早池峰登山でお客として泊まったのがきっかけで結婚、3人の息子さんを授かったと、留守番役の女将、陽子さん。今夜は息子さんふたりが助っ人。早速、お茶請けに豆しとぎという昔ながらのお菓子でもてなしてくれた。素朴な味わいが嬉しい。

 まだ明るいので、周辺を散歩。少し歩くと、早池峰山が見えた。早池峰神社へ参拝。途中で、狸と鹿に遭遇した。生き物の気配が濃い。夕立が来そうな気配、急いで宿に戻った。

 縁側で一服。耳を澄ませば、沢の瀬音、鳥の声。目の前にはトンボが舞う畑、その向こうに樹林。見上げれば、流れる雲。いい香りの煙がかすかに漂う。飽きることのない至福のひととき。

 電気はかろうじて引かれているが、ガス水道はない。お風呂は薪で焚いた五右衛門風呂。暮れゆく森の景色を眺めつつ、湯舟の木の匂いに包まれ、柔らかい湯に浸かる。途中で入ってきた温泉よりずっと気持ちのいいお湯。

 夕食は縁側で宿の家族と一緒に。というか、息子さんたちもお母さんと一緒に作ってくれた食事だ。食前酒はハチミツで作った自家製ミード酒。やんわり優しい味わい。

 ガラスの器には透明なスープ。すっきりしているがコクがあって深い旨味。何か分かりますかと訊かれたが、野菜とは思うがそれ以上は分からない。なんとトマトのエキスのスープ。絞ったエキスをコーヒーフィルターで濾しているという。食卓に上るのは、すべて目の前の畑で無農薬栽培した野菜ばかり。

 日本酒好きという女将が、お客さんの手土産という酒をふるまってくれた。再訪する時は、一升瓶を持参しなくては。前菜は、山椒の実とワサビの葉を添えた豆腐、クルミの和え物、カレー味のオカラ春巻き。派手さはないが、記憶に留めておきたくなる旨さ。

 息子さんたちは皆、高校は隠岐へ留学した。彼らがインフルエンザにかかったりすれば、親は看病に行かなくてはならず、東京まで出るだけでも大変なのに、さらに夜行列車で出雲へ、そこから船で、と一大事。笑って話してくれたが、苦労が偲ばれた。

 部屋にエアコンなどもちろんない。夜は蚊帳を吊って寝る。懐かしい。ぐっすり眠ることができた。

 翌朝の朝食も、自家製パンや新鮮な野菜、美味しいコーヒーと豊かなメニューだった。

 次は、山仲間と一緒に早池峰登山を兼ねて泊まりに来よう。その時は、鉱石や高山植物に詳しいというご主人の話をぜひ聞いてみたい。

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