その年の12月8日、兄は不在だった
私は中学生だった。
3才上の兄は高校生。
1980年9月25日
レッド・ツェッペリンのドラムス、ジョン・ボーナムの訃報が入った。
泥酔して吐瀉物を喉に詰まらせたことによる窒息だった。
「ばかやろう!」
兄は怒り狂った。
「ツェッペリンのドラムを叩くなんて、他の誰にもできないのに。
ああ、なんてこった!!
ツェッペリンはこれで終わりだ!」
嘆きに嘆いた。
「どうしてくれるんだ!!」
怖くて近づけない。
こんな兄を見たのは初めてだった。
兄が予見した通り、その後レッド•ツェッペリンは解散声明を発表した。
1980年12月4日のことだった。
兄はうちひしがれていた。
かける言葉も見つからなかった。
うっかりしたことを言えば逆鱗に触れてしまうのではないかという怖さもあった。
この、たった数日後だったのだ。
ジョン・レノンが銃弾に倒れたのは。
1980年12月8日
私はこの日、薄暗い部屋で『ジョンの魂』を抱きしめながらレコードを聴いている父の背中を見ながら、自分には何もできないことを痛感していた。
兄だったら気の利いた言葉をかけられるんだろう。
と、思ったがー
兄はその夜、不在だった。
二重の衝撃に耐えられなかったのか、ツェッペリンを失った衝撃が強過ぎてジョン・レノンどころではなかったのかー
知らない。
私は知らないし、
兄にわざわざ尋ねる気もない。
ただ、あの夜のことは忘れられない。