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東急線全部乗る④ 池上線・東急多摩川線 東急の歴史を語る陰の立役者

池上線と東急多摩川線は蒲田駅を起終点とする2路線、現在は他の路線や地下鉄への直通もなく距離も短く、東急の中では地味と言わざるを得ないけれども、東急創業期の歴史を語る上で外せない2路線。

いつの間にか新横浜線が開通してしまい路線図もリニューアルされてしまった。

池上線

山手線の五反田駅と京浜東北線の蒲田駅の間を弧を描くように結ぶのが池上線。10.9kmに15駅、品川区と大田区の由緒正しい住宅街を走っている。

地上4F相当の五反田駅。山手線の上に駅があり駅舎は東急のビル。

この路線は現東急の路線で一番古い歴史を持つ。1922年に蒲田から池上駅まで池上本門寺への参拝のために作られた池上電気鉄道の路線が始まり(東急としての創業路線である現目黒線が1923年)。その後池上駅から延伸し、五反田まで全通したのが1928年。開業当初から山手線の内側へ延伸する計画だったので、山手線の上に駅を作った。その計画は都営地下鉄の浅草線や、三田線に直通する目黒線に引き継がれたような形になっている。

各駅停車のみで運行、3両編成で、朝ラッシュには最大22本/時の高頻度運転がされている。ローカル線っぽいけど住宅密集地を走る宿命、コロナ前の2019年の五反田駅の乗降者数は10万人を超えており、およそ3両編成の各駅停車しか走らないというイメージとは思えない。

日本一の商店街の一つ、戸越銀座。最近のレトロブームで観光地化している。
旗の台駅は大井町線の乗換駅。
御殿山駅は東海道新幹線と横須賀線・湘南新宿ライン(品鶴線)の真上にある。
路線名にもなっている東急最古の駅の一つ。池上線の主要駅は多摩の木材を使ってリニューアルされている。

東急多摩川線

東急多摩川線という名前は実は2000年につけられた新しい路線名。東急多摩川線の始まりは1923年に目黒と蒲田を結ぶ路線として開通した目蒲線の一部区間。2000年に目黒駅から地下鉄南北線・三田線へ直通、多摩川駅から東横線の日吉へ直通運転(2023年3月18日、この記事の公開日には東急新横浜線が開通し新横浜・相鉄線まで直通)するようになり、目黒から多摩川を目黒線として、多摩川から蒲田の区間はローカル区間として東急多摩川線へ改称された。一応、東急多摩川線というのが正式名称。

東急までが正式名称となっている。自社の玉川線や西武の多摩川線が先にあったため。
目蒲線と東横線の地上駅だった多摩川駅は、日吉方面の複々線化・高架化が行われ、現在は高架部分に東横線と目黒線が、地下に東急多摩川線のホームがある。
今の東急多摩川線の地下ホームは高架化工事に先立って地下化された目蒲線時代の物を引き継いでいる。目黒線が後からできた高架部分に移った形。
すれ違うのは池上線と共通の3両固定の現最新の7000系。東急多摩川線には車庫がないので、池上線の雪が谷大塚駅にある車庫に出入りしている。
蒲田駅は池上線と東急多摩川線が並んだ5面4線、平面頭端駅としては東日本最大。東横線地上時代の渋谷駅よりもホームの数が多い。
東横線で使われていた1000系の改造。大都市東京では世代遅れとはいえこじんまり感が人気で地方私鉄にも多数譲渡されている。

全列車が各駅停車で多摩川と蒲田の間を単純往復していて、本数は他の東急線に比べると控えめとはいえラッシュ時で16本/時、昼間でも10分に1本以上は必ずある。

途中の下丸子駅はキヤノンの本社があったり、クリーニングの白洋舎の本社があったり、ガス橋という東京ガスが鶴見で生産したガスを都内に輸送するためのガス管を通すために作った橋なんかがあって意外と面白い場所。

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