ここは田舎でも都会でもない 多摩都市モノレール
多摩モノレールとは東大和市の上北台駅から立川市、日野市を通り、八王子市をかすめ、多摩市の多摩センターに至る16kmのモノレールの路線。東京西部の拠点都市として今なお発展し続ける立川にも、昭和の香り漂う多摩ニュータウンにも、丘陵と川と田畑広がる多摩の心象風景にも根付いている、多摩は都市なのか?というのは言われ慣れているけど、田舎でも都会でもない多摩都市としか言いようがない地域。
全線開通は2000年。多摩地区育ちの私が小学生の頃に開通が話題になったし、度々下を通ることもあったけど、沿線でもなかったし、生活圏ではないし南北移動せずとも都心へ出られたし、学校もそっち方面ではなかったのでほぼ乗らずに20年以上が経過していた(確か中央大学に受験の時に乗った気がする)。この度、初めて全線乗車してきました。
運行するのは多摩都市モノレール株式会社、株式の約8割を東京都が保有するほぼ都営交通で、残りは接続する西武、京王、小田急、沿線自治体など。
多摩地区の鉄道空白地帯を埋めつつ、南北交通が貧弱な区間で都心と郊外を結ぶ主要路線に接続する役割があり、北から玉川上水駅で西武拝島線、立川北・南駅でJR中央線、高幡不動駅で京王線、多摩センター駅で小田急多摩線と京王相模原線に接続している。
多摩モノレールは多摩地区のニュータウンや再開発エリア、多摩地区の鉄道空白地帯を埋めるために1981年に東京都の都市計画で全長93kmのルート計画が策定された。ルート上はすでに住宅地が広がり用地が限られていること、多摩丘陵を越える地形的制約を考慮して建設コストも低いモノレール方式が採用された。最優先の整備区間として1990年に立川以北の建設、翌年には立川以南の建設がスタート。1998年立川北駅と上北台駅の区間で先行開業、2000年に立川北駅から多摩センター駅の区間も開通。
本社は立川市の高松駅から分岐する車両基地と共に設置されている。立川駅北部は旧陸軍立川飛行場で、戦後米軍が接収し1977年に返還、その後は陸上自衛隊基地、消防や救急機関も設置され広域防災拠点、都や立川市の機関なども多数立地している。隣接地には航空機製造会社の立川飛行機(現立飛ホールディングス)の工場跡地で、大型商業施設が多数開業しており、その中央にモノレールが通り、立川の再開発エリアの顔として交通を担っている。
バブル経済を経て事業費が増大し、当初は利用者も伸び悩み暗雲が立ち込めている時期があったものの、ここは腐っても東京西郊の人口密集地帯。沿線には学校も多く、多摩動物公園など、特に立川の再開発が原動力となり、沿線人口の増加で通勤通学と休日のレジャーで利用者は右肩上がり。あっという間に黒字化転換している。
そして当初から構想されていた南北方向への延伸も決まり、先行して上北台駅から八高線の箱根ヶ崎駅に至る7kmの延伸事業が始動。2030年代とかなり先になりますが、東京唯一の鉄道無し自治体の武蔵村山市に鉄道がとおることに。
また多摩センター駅から町田駅への延伸もルートが決まり動き始めています。こちらも東京最大規模の鉄道空白地帯の町田市北部に鉄道がとおり、町田市悲願(?)の神奈川県を経由せずに東京都内の別の市区に鉄道で移動できるようになるわけです。
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