【栗原政史おすすめの写真家】生涯アマチュア写真家・植田正治
こんにちは✨
もうすぐ夏も終わりますね✌️
最近涼しくなってきましたね。
夏の終わりって感じです🐶
そんな本日は、鳥取砂丘の写真で有名な写真家・植田正治さんについて紹介します。
植田正治さんは、1931年鳥取県で履物屋の家に生まれました。
小学生の頃に写真を始め米子写友会、日本光画協会、中国写真家集団、銀龍社などに参加。写真雑誌のコンテストでも、多数の入選を得るなど、戦前、戦中、戦後にかけて活躍されました。
特に1980年代以降、多数の展覧会開催や写真集出版を行いました。 数ある作品の中でも、鳥取砂丘を舞台にした「砂丘シリーズ」はよく知られている。
生涯アマチュア写真家と名乗って地元の鳥取から離れなかった植田さんはいつも挑戦者でした。新しい技術に、新しい機材、全てに興味を持ち、写真という世界の可能性にとても熱いものを持っていました。
地方の文化を撮影して、"まだこのような文化が日本にも残っているのだ!"と作品を残す写真家に、プロと名乗っていくのにそれでいいのかと疑問をなげかけながら、地方の「気候・風土・文化」を取り入れつつも、前衛的な現代にも通ずるモダンなアート写真を撮り続けた結果、世界に名を轟かす写真家になりました。
現代では、有名な写真家がアパレルブランドとコラボレーションしてカタログを制作するというのはよくある事ですが、植田さんがTAKEO KIKUCHIのカタログ撮影をした当時は、有名な写真家を使うという企画は新鮮であり、こぞって様々な企業がコラボレーションし始める先端でした。
植田正治さんの代名詞と言ったら、鳥取砂丘で撮影されたシリーズ「砂丘」です。
空と砂丘を使って自然のスタジオに仕立てた「砂丘」シリーズは当時、日本で流行っていた社会的なドキュメンタリー写真とは打って変わって、現代の私たちが楽しんで見ているアート写真の原点にもなりました。
あまりにも美しい世界観に土門拳さんなどの多くの写真家が、こぞって植田さんを訪ねましたが、荒木経惟さんの話によると、篠山紀信さんが砂丘の場所を訪ねた時に教えてくれはするものの1番良い場所は教えなかったそうです。
植田さんにとって砂丘は紛れもなく大切な場所だったのですね。
ですが、植田さんはすぐ撮影しにフラフラと出て行ってしまうので、結婚して早々に自分が習った写真の技術を奥様に叩き込み、奥様にシャッターを切らせていたそうです。
新婚旅行で立ち寄った東京では、新妻そっちのけでカメラ屋さんのショーウィンドウから離れない植田さんにそっと付き添っていたという話がとても好きです。
そんな素敵な奥様が植田さんより先に逝去された際は、植田さんは人を撮ることが出来なくなり「妻が亡くなった後の写真は無口になった」と語っています。
植田さんは多くの家族写真を残しています。写真に関すると家族そっちのけだったのかもしれませんが、本当にご家族が大好きで愛していたのだととても伝わって来ます。こんな家族写真を残せたらと憧れを抱かずにはいられません。
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