百一回目の別れ話
「雪、別れよ?」
拓斗は、ツナマヨ鯛焼き片手に、そう言った。
私はぎこちなく笑い返す。
「ありがとう、ごめんね、拓斗」
「う~~ん、やっぱそれかあ」
拓斗は可愛く笑って、鯛焼きの残りを口に押しこむ。
私はノンカロリー炭酸をストローで吸い上げ、空になった容器をゴミ箱に放りこんだ。
「これで拓斗のお別れ宣告、百回目だっけ?」
「数えてたの? 気持ちわるぅ」
拓斗は笑って言い、立ち上がった。私たちは肩を並べて歩き出す。
拓斗の肩は、私の肩より大分高い。十年前は可愛くて、女の子みたいだった拓斗。今はすっかり大人びて、アイドルみたいな髪型も、斜に構えた歩き方もよく似合う。
十年前に拓斗が隣に越してきてから、私たちはずっと一緒。
「あ、新しい店できてる。クレープかな」
私が言うと、拓斗が無邪気に返す。
「ぺこぺこで安っぽくて絶対行きたくないね」
「そうだね。天気もいいし、こうして歩いてるほうが楽しいよね」
「こういう晴れの日って、オレ、嫌い。雪と歩くのもフツーにだるい」
「そうだね。……もうすぐ家に着いちゃうね」
「だな。あー早く帰りて~」
拓斗がため息交じりに言ったとき。
後ろから、聞き覚えのある声がした。
「ちょ、ちょ、雪!」
「あ、葵」
振り向くと、中学の時に同級生だった女友達がいた。
葵はすごい形相で駆け寄ってくる。
「まだこんな奴と付き合ってんの⁉」
「いえーい、こんな奴でぇす!」
拓斗は笑顔でピースする。私は慌てた。
「ま、待って待って! 私はいいんだって、葵」
「よくないでしょ、こいつ、中学のときもあんたのことぼろくそ言ってて! 何で付き合ってるのか謎すぎたよ!」
「付き合ってない、付き合ってないし、いいんだよ、私たちはこれでいいんだよ!」
「いいわけないでしょ、現実見なよ、雪!」
葵が怒鳴り、私はどきりとする。
そんな私の手を、拓斗が取って引っ張った。
「葵、ごめんね!」
私は雪に叫んで、拓斗と一緒に走り出す。走って、走って、走って。薄暗い路地と、安いスーパーと、開いてるのかどうかわからない飲み屋の間を走って、ダクトが這い回る巨大工場を遠くに見て、やっと立ち止まったのは――黒ずんだ二階建てアパート。
錆びた自転車が転がるアパートの前で、私たちは荒い息を吐く。
「……雪」
「なに、拓斗」
拓斗は私を見て、優しく微笑んで、言う。
「やっと帰って来れたな。お前のお城に」
「……うん」
「今日も料理人がすげーの作ってくれてるんだろ? クレープの上に、ぶわーっとクリーム乗っててさ。あと、アイスと、チョコと」
「……そうだね」
「だったら、早く、帰らないとな」
優しく囁いて、拓斗は私の頭を撫でる。私はちょっとだけ泣きそうになる。
拓斗の言うのは、全部嘘だ。拓斗は私に嘘しか吐かない。
なんでかって、約束したから。
十年前、ここに引っ越してきたママはとっても貧乏で、私はママのサンドバッグだった。ボロボロの私を見た拓斗は、怒って、焦って、『オレがどうにかする!』っていきり立って。だけど、私は知っていた。六歳の子供同士じゃ、『どうにか』なんてできないって。
だから――私は、拓斗にお願いしたんだ。
嘘を吐いてよ、って。
私のために、嘘を吐いてよ。
全部全部、嘘を吐いて。世界は美しいって言って。
私は幸せだって言って。私のために、そう言って。
あれから十年。
拓斗は、私との約束を守っている。
私の頭を撫でながら、拓斗がぽつりと言う。
「雪。俺たち、やっぱり別れようよ。そうしたら、オレ」
別れよう、は嘘。本当の拓斗の気持ちは裏返し。
拓斗はずっと、私と付き合おうと言ってくれている。
その優しい腕に、飛び込めたなら――。
ううん、でも、早い。
私は、だっと走り出し、アパートのドアの前で、拓斗にピースした。
「拓斗!」
私は叫び、ピースサインを掲げる。
ピース。指、二本。二。あと二年で、私たちは成人する。
そこからは、私たちのターンだ。
私のピースを見た拓斗が、泣きそうな顔で笑う。
あなたの、百一回の告白を、優しい嘘を、私は忘れない。
二年後、私たちは、ひっくり返そう。嘘を吐くのをやめて、大人になろう。
そして、二人で、どこまでもいくんだ。
拓斗は一瞬泣きそうな顔をして、ぐっとこらえて。
私に向かって、最高の笑顔でピースした。
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