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【1/25 日記】無意味と無駄と習慣のはざまで

・目覚ましをかけずに寝て、起きたら10時だった。
寝る直前に思いついたアイデアがあって、でもメモする気力はなくて。なんとか覚えていますようにと願いながら寝て、起きたらちゃんと覚えていた。よかった。速攻メモした。

・ゆっくり起きたせいか、なんのやる気もわかなかった。まあ、平日いろいろ頑張ったから、1日くらいはよしとしたい。
たとえ毎日何かをする、という習慣を身に着けたとして、24時間はその行為をしていない。だから1日、3日、1週間、1ヶ月、1年、それ以上空いても気にしないこと。また始めるだけでいい」という、どこかで聞いた言葉が、ずっと支えになっている。

・夫が持っていた、伊藤計劃『ハーモニー』を読んだ。これも飛ばし飛ばしで。でも『虐殺器官』含めて2作とも腰をじっくり据えて読む必要があるな。
私が「出会ってよかった」と思う小説は今のところ
・米澤穂信『儚い羊たちの祝宴』
・ジョージ・オーウェル『1984』(角川文庫、田内志文訳版)
があるのだけど、『ハーモニー』もここに入ってくる気がする。

真っ先に印象に残ったのは、実は解説。

無意味であることに耐えられないんですよ人間は。

伊藤計劃『ハーモニー』P375

批評家・佐々木敦さんとの対談の中で、「クオリア(脳科学や心の哲学などで問題とされている”それそのもの”という感覚の質)」について話題になった時、伊藤計劃さんがこう話したそうだ。
この一文を見た時に思い出したのが、山田ルイ53世さんの「無駄は無駄でいい」という考え。

無駄でええやんと。なんのプラスにもならない、ゼロの部分が人生にあってもええやんと。なんでそこまで、ええ感じで仕上げたがるかなという疑問はありますね。
(中略)
本人が思う分には、その経験が美談であろうが無駄であろうが、どっちでもいいと思います。ただ、周りの人間が「いやいや、あのひきこもり経験が、期間があったからこそいまの君が…」と言うのはちょっとね。
無理やり美談にしなくてはいけないという感覚が、当事者にとってはむしろ重荷なんだと思います。なんでも美談にしたがるバイアスが、この世に満ち溢れすぎてる。

「私もひきこもりだった」髭男爵 山田ルイ53世が体験を語る4 人生には、無駄があってもいい(1/2)

正直、これらが『ハーモニー』のどことリンクしているか、みたいな話はできない。でも、妙に刺さったので書き記しておく。

・そういえば三曲(箏、三絃、尺八)+十七絃編成で『無意味な序曲』ってあったな。

弾いたことがあるけれど、本当に捉えどころがなくて難しい曲だった。変拍子もたくさんあったし。
今思えば、捉えようとしているから難しかったのかな。「無意味」ってくらいだし。
「そっか、意味ないのか〜」と思いながら弾けば、案外気楽に構えられたかもしれない。

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栗藤ルネ
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