こども自身が自らの参加の仕方を探る 〜 小学校でのワークショップNo.2 〜
NPO法人Collable(コラブル)のくりのです。
前回に引き続き、会報誌に載せきれなかった演劇家の柏木さんへのインタビューを載せていきます。今回はこどもたちの変化について深めていきます!
No.1 「こどもたちの関係性を覗き込む」 (大人から見たワークショップの価値について) No.2「こども自身が自らの参加の仕方を探る 」 (こどもの変化について) No.3 「学校という枠の難しさ」 (日常へのワークショップの限界について) No.4「大人が行う、こどもたちの行動への価値づけ」 (関わる大人の価値付けの変化について)
ー自分なりに参加意識を持つ。
柏木:この学校の場合、こどもたちが成長しているから、「(こどもたち自身が)どうやったら自分はここに居れられるか」を探しているわけですよ。僕も彼らが活動をできるとしたらどういうやり方があるだろうって探るわけです。
で、支援級の先生もこどもたちに無理をさせないように、でも、参加できているっていう状況を作るとしたら、どういう方法があるんだろうかって考えてサポートしてくれる。
前は教室に入れなかった支援級のAくんが、今は居られるようになって、なんだったら活動も一緒にやっている。今日なんて発表もするわけですよ、他の子とは一緒にできなくても、先生と一緒に発表したりはするわけですよね。最後はやりたい!って、なんでもう一回やらせてくれないんだ!って先生に怒って、(逆に先生に)怒られているわけじゃないですか(笑)。
でも、例えば授業中に誰かに対してAくんが「〇〇帰るぞー」って言ったんですけど、それは彼が「あの子は参加してない」って認識していると言えるんじゃないかと思うんです。「もっと積極的に参加しなよ、参加しないなら帰るぞ」ってことを伝えている。あの子なりにそういうアクションを起こしている。もしくは、暇だ、というメッセージかも(笑)。次の活動がまだ始まらない、暇だ、始めろってこと。
彼なりに参加意識を持っていて、他の人には理解しづらいかもしれないけど、彼としては非常に楽しみにしながら頑張りながらやっているわけです。他の子たちも一緒だと思うんですよね。彼らの成長みたいなのがあるから、授業をする僕は楽になってます。
前は「なんで俺はここにいなきゃいけないんだ」とか、「ここにいるのは退屈だ」とかが始まってしまったけど、今は「活動はしないのか」だし、「俺はもう一個考えたぞ!」だし、それはもう明らかに活動に対しての距離感が変わっている、自分なりにエンジョイできる方法を彼らが見つけようとしているわけだから、全然違います。楽ですよ。
山田:楽っていうのはある種の成長があるからなんですね。
ー「待っている」のは誰なのか。
柏木:そうそう。だから(毎年メンバーが違う)3年生のケアの方が多くの時間を使う。でも時々3年生のケアに時間をかけすぎると、誰かが何かを始めちゃうわけです、支援級の子たちの場合は。誰かが教室を出て行っちゃうとか。それが起こったときに、今だと「(待つ時間が長すぎて)みんなのことを待てなかったんだよ」って言える。
(通常級の中にも)明らかに支援級に行った方が楽じゃないかな、みたいな子がいるわけです。それも複数人。今のところクラスに一人くらい重要人物を散らしているけど。でも4年くらいから学校の授業などの活動がしんどくなる。
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こどもたち自身が「どうしたら自分はこの場所にいることができるのか」を模索する。
廊下から教室へ、教室の隅から活動へ。そして他者へ働きかける、そんなこどもたちの変化が分かる事例でした。関わっている大人だけでなく、こどもたちも自分たちで模索しているのです。
そして、支援級というと普通級の子たちが「合わせてあげる」とイメージを持つ方もいるかもしれません。しかし、そうとは言い切れない時だってあるということも伝わったかと思います。
「ともに」活動するから分かること。それがCollableの目指すインクルーシブデザインです。
次回のnoteは日常へのワークショップの限界についてです。
次回もお楽しみに!
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