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「優しい世界」より「私とあなた」でちゃんと難しさも語りたい。

ツイッターより。
私はこんな視点で活動してるのか!って発見。
「優しい世界」を語るよりも「私とあなた」でちゃんと難しさも含めて語りたい。

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同じ言葉を使ってても、同じ分野で活動してても、なんとなくそこじゃないんだよなぁと感じる。たぶんカラーってことなんだけど。

そうしたときにウチは「綺麗ごとで終わらせない」ってとこがカラーなんだと思う

「みんな相互理解しようぜ!こんな人たちがいるよ!頑張ってるよ!」はなんかピンとこない。

もっと複雑じゃね?とか思っちゃう。綺麗に、綺麗に、ってまとめられるとピンとこなくて。ジレンマを抱えていること、でもそれを諦めようとしないこと。そっちが本当だと思うんだよね

難しさを隠して(または綺麗に起承転結のようにまるで解決したかのように)話す。(自分のことはひとまず置いといて)マイノリティに寄り添おうよ!って話し方。

でも、そうじゃなくてマジョリティとしての戸惑いだったり、今まで接しなかった人とのコミュニケーションの難しさだったりを語ることの方が私は重要だと思うんだよね


みんなで考えようよ!ってそういうことだと思ってる。「私とあなた」なのだから、綺麗で終わるわけなくて。

優しい世界を描くことは素敵だと思うけど、そこに福祉的視点があるのはむしろ差別という感じがする。分けないで「私とあなた」の関係で話して。

この分野でNPOに関わってると「すごく優しい人」みたいに思われることもあるけど、全然そうなことない。ジレンマを持ち続ける

あー
だからか。

「カランコエの花」や「グレイストショーマン」が気になっちゃうのは。今更だけど、このnoteもそういうスタンスで書いてるわ。当事者性(私から見た)がないとピンとこない。そうなんだなぁ

https://note.mu/kurichandaze/n/nf928eb7c59d9

#twitter #Ithink

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