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ゼミの読書会を再構築する。

「予測不可能」な春が始まった。

朝5時になると猫が騒ぎ出す。
朝ごはんをくれと枕元でニャーニャー鳴きだす。
でも、あげたところでアフアフ食べるわけではなく、少し食べて満足する。
「え、私まだ眠いけど頑張って起き上がったのに...」とガックリしてたのは最初の時だけで、今はもう何も思わないけど。いや、ウソか。まだちょっと思うわ。

2月、3月はまだ寒い日が多くて本当に辛かったけど、4月になって5時でもだいぶ外は明るく、暖かくなってきた。朝起きて散歩に出ると、たんぽぽやヒメオドリコソウが咲いていて、どこもかしこも春めいている。

でも、今はやたらめったらに外に出ることはできない。可能な限りは「自粛」しなければいけない。この先が見えない未来に、どう私たちは向き合えばいいのだろう。誰しもきっと何かしらの不安は抱えているだろう。「未来は予測不可能」とは前から言われていたが、こんな形でいきなり変わらざるを得なくなってしまった。本でも読んでいたし、リモートで働いている人も知り合いにいたし、時々オンライン会議もしていたが、それでも戸惑いはないかと言われればウソになる。


学びを止めない。

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それでも、この状況でできることをしようとする人もいる。現在日本中で起きている#学びを止めない未来の教室 」(略して #マナトメ )というムーブメントもその一つだ。

新型コロナウイルス感染症対策。
全国の学校の臨時休業が進むでしょうが、そんなときこそEdTechがその力を発揮します。

「学校が閉まってるからって、学びを止めないで済む」

そんな社会の実現に向けた挑戦だと、前向きに考えたらよいのではないでしょうか。経済産業省「未来の教室」プロジェクトでは、実証事業で一緒に汗をかいているEdTech事業者さんのみならず、日本の様々なEdTech事業者さんが動き始めた素敵な取り組みをご紹介し、一人でも多くの生徒さんたちに学びの機会を届けたいと思います。

(経済産業省より)

様々なツールを用い、新しい授業の形を探る。
教授がオンラインでゼミを行ったり、大学がyoutubeで講義を無料配信を行い、オンラインでの学びがどんどん加速している。私がチューターとして関わっている長岡ゼミでもオンラインゼミが行われ始めた。


オフラインのゼミでの読書会と問題。

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「オンラインでゼミをやろう」
長岡先生がそう言ったのは3月の初めだった。私自身2月中旬くらいから仕事の一部はリモートワークになり、4月は大学の授業が行えそうもないだろうなと思っていたので、「いいですね」と賛成した。ゼミでは前半に読書会、後半はゲストを呼んでの対話を行うことになった。

だが、完全に不安がなかったわけではない。
今までのゼミの読書会では、それぞれが事前に課題図書を読み、その本を元にみんなで対話したいことを話していた。(長岡ゼミではガチャトークというやり方で読書会をしていました。詳しくは以下サイトで!)

そのやり方をそのままオンラインではできない。いや、正確に言えば「形式的にはできるかもしれないが、うまくいかない」と直感的に思った。オンラインでは複数人が一斉に話すことやランダムに対話することが難しい。だからこそ、今までのような対話の形ではうまくいかないと思ったのだ。


オンラインに合わせた読書会を模索する。

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そこで長岡ゼミでは以下のような読書会のやり方を行った。

①先生が学生を一人指名し、指名された人が該当ページを音読する。
 (大体1~3P)
②本に書いてあることについてそれぞれ考え、場合によってはチャットに書く。
 (3分くらい)
③指名された人が考えたことについて話す。
 (数人、場合によっては全員に聞く)
④できていた意見について織り交ぜながら、考えたいテーマについて先生から問いかける。
⑤先生の問いかけについて、話す。

前提から具体的に説明してみよう。
長岡ゼミの読書会は「本に書いてあることを理解するため」に行うのではなく、「インスピレーションを得るため」に行う。具体的には以下の三つを意識している。


これらの三つのことを前提としながら、今回は「クリエイティブなこと」について考えようということになった。(長岡ゼミは以下のようにクリエイティブ、デザイン、マネージメントを考えています)

クリエイティブ領域の機能とは、アイディアをカタチにすること、つまり、具体的な制作物を作り出す(創り出す)ことです。

クリエイティブな(何かを創り出す)発想ができるようになるためには、自分の意見や主張を考えたり、伝えたりする必要がある。そして、そのための練習が必要になる。

そこで選ばれた本が「13歳からのアート思考」だ。
この本では紹介された作品を使い、様々なアクションを行ったり、考えを膨らますことで、自らの「ものの見方」を変えていく。(自分が「良い」と思った作品を選んでみるなど、実際にアクションを促しながら進んでいくので、一人で読んでも面白いです!)

この本は3月のゼミ合宿の読書会から使われている。
今期最初のゼミではP55~70(CLASS1)で読書会を行った。ここでは「すばらしい作品」について考えるためにいくつかのアクションを行うように勧められていた。ゼミでも、p63の絵について気づいたことを口に出して話をしてみた。(p68のアクション)

このとき、ゼミ生の発言に対し、先生から同じ問いかけが何度も出てきた。

「それは具体的に何を見たの?」

「右側が明るく見える」と答えるのと「右側はオレンジ色が混ざっている」と答えるのでは意味が異なる。オレンジ色が混ざっているというのは事実だが、明るく見えるというのは主観だ。

インタンジブル(見えないもの)ばかり語るのではなく、タンジブル(見えるもの)をファクト(事実)として話す練習をしよう。

気づいたことを話しましょう、というと主観ばかり語る人もいる。事実を盛り込めなければ、それは他の人に説明できない。だからこそ、自分が具体的に何を見て、そこからどう思ったのかを話す練習が必要だ。(余談だが、「AI vs 教科書が読めない子どもたち」という本でも、書いていないことを書いてあるように読んでしまうという話がありました。こちらもおすすめ)

こんな感じでたった15pを1時間ほどかけて読書会で進めた。
それでも、通常のゼミと同じくらい学びが深かったように感じた。実際にそれぞれが考える、考えたことを共有する、先生からのコメント、コメントについてまた考える、このサイクルが思考を深くさせているように感じた。


態度が問われているのは誰か。

さて、ここまできて改めて思ったのは「何を学びたいか」によって、やり方を組むということだ。ある意味当たり前のところに行き着いた。

だが、これを行える人はどれくらいいるだろう。
既存のやり方で何年もやってきて、それを少しずつ変更するのは慣れているかもしれない。しかし、オンラインで行うとなると、これまでのやり方をまるっきり手放さなくてはいけないこともある。今まで行ったことのない環境で新しいことをするとなれば、もちろん失敗だって起きてしまう。試行錯誤するための協力者を募るために、他者への態度や接し方も変えなければいけないかもしれない。

学びを止めないために問われているのは、学生の態度ではなく、教える立場の態度なのかもしれないと思った。


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