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修道院

わたしの「信仰生活」は、イエズス会が運営していた無原罪聖母修道院(黙想の家)から始まりました。
※カバー写真は、新築される前の修道院、その姿です


そこで「日帰り黙想会」に何度か足を運び「洗礼を受ける」かどうかの決断を自らに見定める、とても大切な時間を過ごすことができましたことは、神に感謝、そして当時、黙想の家、館長であった、マヌエル・アモロス司祭に心よりの感謝を申し伝えたく存じます。

今から10年以上も前の話になります。

わたしが受洗したのは、イエズス会が運営する「カトリック麹町(聖イグナチオ)教会」でした。受洗後、すぐに上石神井修道院にて催されていた、イシドロ・リバス神父による「現代信仰の集い」という超教派の「祈り」に主眼を置いたグループに足を運びました。そこにも「黙想の家」と同じ、イエズス会の霊性が息づいていました。

ここで「修道院」についての基礎的な情報について、若干、記述させて頂きます。

歴史上、「修道生活の父」と呼ばれているのが「エジプトのアントニオス」、彼は1人でした。やがて複数人が集まって修養するようになり、共同生活の必要が生じて、その時代に「共同修道生活の父」と称されたのが、エジプトのパコミオスになります。彼らは紀元後3世紀から4世紀にかけての人物たちです。

かつてはエジプトの、ごく一部の地域で盛んであった修道生活も、やがて地域的な広がりを見せて全世界に広がって現代に到ります。今日ではキリスト教の共同体が「修道会」であるためには3つの条件が必要であると云われております。

  1. 教会の認可:修道会は教会当局の認可を受けて初めて「修道会」となる。詳細は教会法の定めるところによる。

  2. 会則:歴史的に以下を四大会則と呼ぶ。
    - バジリオ会則…聖バジリオは4世紀カパドキア(現トルコ東部)のギリシア教父(ギリシア語で著述した教父)で司教・教会博士。その会則は主に東方教会の修道院で採用され、東方教会では「修道生活の父」と称される。
    - アウグスチヌス会則…聖アウグスティヌスは4~5世紀ヒッポ(北アフリカ)のラテン教父(ラテン語で著述した教父)で司教・教会博士。その会則を採用した修道会を総称してアウグスティノ会と呼ぶこともある。ドミニコ会などで採用。
    ベネディクト会則…6世紀イタリアの聖ベネディクトによる会則。中庸の生活を特徴とする。ベネディクト会、シトー会など西方教会の多くの修道会で採用され、規範となっている。
    - フランシスコ会則…13世紀アシジの聖フランシスコの精神による会則。
    これら四大会則に拠る修道会をordo(盛式誓願修道会)独自の会則に拠る修道会をcongregatio(単式誓願修道会)とよぶ。

  3. 三誓願:従順(心の奉献)・清貧(所有物の奉献)・貞潔(体の奉献)の誓願を三誓願といい、人間全体の奉献を意味する。会によって、更に特別の誓願を加える場合もある。

以下、現在におけるいくつかの修道会について紹介いたします。

  • ベネディクト会(Ordo Sancti Benedicti):聖ベネディクトの創立によるこの会は、修道院に定住して「祈りと労働(知的あるいは肉体的)」の生活をする。修道院長を父とする修道家庭共同体で、各修道院も自立している。フランスでは10世紀から大革命にかけてのクリュニー修道院が有名。

  • シトー会(Ordo Cisterciensis):11世紀末、会則への徹底的忠実を求めたベネディクト会員によってフランスのシトー(Citeaux)に新しい修道会が興され、12世紀に聖ベルナルドによって基礎が固められた。この会を土地の名を取ってシトー会とよぶ。

  • 厳律シトー会(Ordo Cisterciensium Strictioris Observantiae):シトー会のLa Trappe修道院が17世紀に厳格な修道生活を目指して改革され、後にシトー会から独立した。沈黙・菜食・苦行・禁欲を厳守する。母修道院の名前からトラピスト会(Trappistes)とも呼ばれる。

  • ドミニコ会(Ordo Fratrum Praedicatorum):13世紀に聖ドミニコによってトゥールーズに興された修道会。当時の異端カタリ派に対抗した。清貧と研学を特徴とする。

  • フランシスコ会(Ordo Fratrum Minorum):13世紀アシジのフランシスコのもとに集まった弟子たちの修道会。15世紀に厳格派のカプチン会と穏健派のコンベンツアル会が独立する。清貧・愛徳・教育・宣教が特徴で、ドミニコ会と共に女子会(第二会)および信徒会(第三会)があり、托鉢修道会ともいわれる。クララ会は第二会。

  • イエズス会(Societas Jesu):16世紀聖イグナチオ・ロヨラとパリ大学の同士がモンマルトルで誓願を立てたのを契機に発足した新しいスタイルの司祭修道会で、宗教改革後のカトリック宣教の一線で活躍。「神のより大いなる栄光のために(Ad Majorem Dei Gloriam)」をモットーとする。

わたしは、イエズス会の「黙想の家」を離れた後、フランシスコ会(OFM)の「修静の祈り」に集い、続いて在俗カルメル会(ノートルダム・ド・ヴィ)による「集い」に交わり、最後には「けがれなき聖母の騎士会」という信心会に「入会」して、カトリックの信仰生活を終えました。

「イエズス会」「フランシスコ会」「カルメル会」…この3つの修道会における霊性を感じとることのできた、カトリック信徒としての10年間、その信仰生活でした。

現在、独学にて、少しづつですが、地元図書館にある『世界修道院文化図鑑』にて、かつての信仰経験を整理している最中です。


「修道院」とは、わたしが、カトリック信徒として信仰生活を過ごした約10年間において、もっとも充実した信仰の糧があった…そんな経験をさせてもらった…多くの「気づき」を得させてもらった場所でした。

プロテスタントに教派を変えた今でも、その信仰体験に深く感謝しております。

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くり坊
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