【コラム】服を着る先に見えたものとは
私たちは普段どんな洋服を着るだろうか。
もちろんTPOに合わせた服、出かけるために着る服、私たちのための服など様々な意見があるだろう。服を着るというのは毎日の暗黙ルーティンになっているに違いない。そして毎日のルーティンであるにもかかわらず、私たちは服を着る時、客観性を重視するのだ。ではなぜ私たちはそこに、人に見られるという意識を持つのか。私はそのことについてすごく疑問に思ったのだ。まず、私たちが服を着る時どんな服装でもいいわけではなく、何かしらのコンセプトや、客観性があり、見た目を大切にする。そしてそれらは服を着る時に、私たちの中の自分をよく見せたいと思う気持ちも生みだすのではないか。そうなると服を着ると言う単純な行動ではあるが、それは自己を表現する1番手っ取り早い方法になり、同時に人に与えるイメージ付けにもなる。そして私たちが今着ているものや身につけているものは私たちを表すものとなっているのだ。それは服を着るという一つの単純な行動の奥に隠れた自己主張である。
snsの発信が著しいこのご時世では尚更、身に纏うものをメディアから発信することを多く見かける。それはメディアを通して私自身を発信する一つの方法だとも私は思う。
だからこそ私たちは服を身に纏うのだ。
服を着る先に見えるものは、私達自身の感情や、気持ちをおおいに表している。時よりそれは大きな力となり、人の心を動かすだろう。
そして服を着る先の主張は
誰にも否定する権利はないと私は考える。
自由に着飾り表現する。
そして私たちはより一層
服を着る先に見えるものを正直に見つめていきたい。
そうすれば人々はもっと感情を自由に
表現するルーツが見つかるのかも知れない。
そしてそれはメディアを超えて
世の中の何かを変えるかもしれない。