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知らない街で 出逢いたい 真実の自分と

2018年5月、僕は新横浜の駅で新大阪駅行きの新幹線を待っていました。現在も勤める広告会社での初配属、大阪への旅立ちです。

僕は大阪で2年の時を過ごしたけれど、一人暮らしや異郷での生活、初めてのこと尽くしであったので全てのことが新鮮で、なにより環境の変化の中で自分の変化を知ることができたのが大きかったと思います。僕には2年間で大きく2つの変化の機会がありました。

1つ目、それは部署の異動。僕はわずか半年で初配のマーケティング部から営業部へ異動したのですが、当時、僕は自分のことを論理的なマーケの人間で営業だけは御免だと思っていたので、辞令がマーケ失格の烙印のように思えて大泣きしたし、役員に異議のメールを送ったりもしていました。しかし、とりあえず無理をしてでも仕事を真似していく中で周りの先輩に憧れを抱き始めるとともに、営業のほうが向いているのではないかと思ったり、気付けば営業としてなりたい人物像を描くようにまでなっていました。一度自分像をぶっ壊してみた結果の新しい自分の発見であり、変わりながら自分を表現していったんだと思います。

2つ目、それはまさに関東から関西という場所の変化に伴うもの。僕の会社の大阪支社は関西出身の人が多く、しかも営業職となればよく言うノリの違いは明らかでした。僕はノリを合わせることができず、流れの中で僕の言動に ?マークが灯る瞬間を何度も経験しました(そこ返して来いよ、みたいなやつ)。僕は諦め半分で数少ない東京人としての個性を発揮することを選びました(ちなみに僕は横浜出身です笑)。するとノリの違いで賭けに出たことが功を奏したのか、依然?マークを灯し続ける僕のようわからんノリが一周回って受け入れられるようになったんです。(会社の方たちの力量のおかげでもあるけれど)。変わらずに自分を表現できたのだと思います。

この2つの経験を通して、自分が変わっていき変わらずにいることは、新しい自分に出会えるみたいな喜びでした。その後、僕のフットワークは軽くなり、まだ若い、初めの4年はいろんな場所で変化の機会に触れようと決意しました。なぜ4年か。実は部署を異動したときに異議申し立てを送った役員からこう返信があったのです。

「多岐に渡る業務の全容を理解するには少なくとも4年はかかります。私はその4年を個人の生長のための研修期間だと捉えています。」

「生長」。そう書かれていました。本来、「生長」という言葉は木々や植物が大きくなる表現に使います。初めは伸び伸びと経験を重ねればいい、そのような意味が「生長」には込められている気がしました。4年という生長の期間をくれる、優しい人だと思います。

「知らない街で 出逢いたい 真実の自分と」

あれから約3年、今僕は日本を離れベトナムにいます。もうすぐ「生長」の期間は終わります。その時どんな自分に出逢えるだろうか。
「AMBITIOUS JAPAN!」、旅立つ人に 栄光あれ。

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