「室の八島」と梓みちよ
帰郷が叶わなかったが、車を手放すことにしたので、最後のドライブをと思い、昨日は『奥の細道』に赴く。
いつか黒羽に行きたいね、と彼女と話していたが、幾分遠いゆえ、栃木の歌枕「室の八島」(大神神社)を目指す。
雨の中、高速で二時間ほどハンドルを握ると、次第に田んぼや山が広がっていく。久々に緑に囲まれほっとさせられた。
集落の中の細い道をたどると、杉の茂る参道が現れた。人気の無い古刹であるが、人の居ないことで、歌枕の雰囲気が伝わってくる。
糸遊の結つきたる煙哉
細道本文には記述はないが、俳諧書留に宗匠最初の発句として記されている。室の八島は、水蒸気が煙のように立ち昇り、「けぶりたつ」と古歌にもたびたび詠まれ、その縁語の一句。糸遊(いとゆう)とは陽炎のことである。
あなたふと木の下闇も日の光
入かゝる日も糸遊の名残哉
鐘つかぬ里は何をか春の暮
なども詠んでいる。
瞼の裏には、曾良と芭蕉の面影が浮かび、来てよかった、と暫し目を細めていた。
ふと、巨木になり始める杉は怖い、と胸が騒いだ。直木であるのもそうだが、睥睨され心を見透かされるようなのだ。樹木は大地の賜物なのだろう、物の怪を感じつつその場を後にした。
帰路は、高速を使わず下道を辿る。国道4号を進んでいると、ラヂオから「二人でお酒を」が流れてきた。宮本浩次がカバーして味わい深い歌声を聴かせているが、スピーカーから流れる梓みちよの歌声に、心が震えた。
うらみっこなしで別れましょうね
さらりと水にすべて流して
心配しないでひとりっきりは
子供のころから慣れているのよ
それでもたまに淋しくなったら
二人でお酒を飲みましょうね
飲みましょうね……
帰宅後、焼酎を傾けると、しぼったレモンがヒリヒリと身に沁みるのだった。
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