暮瀬堂日記〜畑打(はたうち)
「田打(晩春)」の季語と同時期に「畑打(三春)」という季語もある。私も実家の畑仕事を手伝ったことがあるが、土を返すということは大変汗のかく作業である。
都内では特別区を離れればようやく畑が点在するが、陋屋近くでは見ることはない。それでも、仕事で相模原や厚木などへ向かうと沿道には多くの畑が現れて、故郷を思い出させてくれる。
畑打つやうごかぬ雲もなくなりぬ 蕪村
気がつけば、動かずにいた頭上の雲が、どこかに流れて無くなっていた。作者が蕪村であれば、それが彼の南画中の光景に見えてきて面白い。
天近く畑打つ人や奥吉野 山口青邨
畑打つや土よろこんでくだけけり 阿波野青畝
どちらも虚子門でホトトギスの重鎮であった俳人である。山の畑の遠景の姿と、接写したような近景のニ句を並べてみたが、どちらも躍動感が伝わって来る。
畑打つや太閤様も死んだげな 藤井紫影
作者は国文学者で、帝大在学中に子規と知り合い句作を始めたとのこと。想像の句であるが、検地を始めた太閤も死んだそうだ、と皮肉っているようだ。
振り上ぐる鍬に打たるゝ畑と空
太陽と土の恵みを思って為した拙句であったが、無性に土を触りたくなるこの頃である。
(二〇二一年 ニ月十九日 木曜 陰暦一月八日 雨水の節気 土脉潤起 【つちのしょううるおいおこる】候)