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紅乃がVになる理由 - 《序章》サブカル&同人大好きオタライターを育てた背景 前編

まずは紅乃の詳しい自己紹介も兼ねて、これまでの経験と経歴をその時代背景も含めてお話しましょう。振り返ること30年前、私が高校生の頃にパソコンに興味を持ったきっかけがコンピューターグラフィックを使った映像表現でした。スマホどころかネットもない時代の少女が何故そのようなものに興味を持ったのか? 高度成長期とバブル時代の青春とは? 紅乃の幼少時代まで遡って自分の趣味趣向を決定づけた事柄について綴っていきますね。

前編 『昭和後期の東京ガールズライフ』

振り返ること昭和50年前後のお話になります。幼少期の私はしょっちゅう風邪をひいていて、熱を出しては寝込んでいることが多々ありました。その度に家族の誰かしらが漫画を買ってきてくれて『りぼん』『なかよし』といった少女コミックから『コロコロコミック』『少年サンデー』といった電子向けの漫画まで、それはもうありとあらゆるジャンルを読んでいました。なかでも、お気に入りは3歳のときに父が買ってきてくれた手塚治虫先生の『火の鳥』シリーズで『未来編』『復活編』を何度も何度も読んでいたのが、私が SF 好きになるきっかけになったのではないかと思っています。

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小学四年生になり自室を与えられてからは、学校から帰ると部屋のラジオをつけて FM放送を聴くのが日課になりました。当時『ストップ!! ひばりくん!』の大ファンでして、作者の江口寿史先生の影響を受けて佐野元春さんや竹内まりやさん、杉真理さんや松任谷由実さんといったニューミュージック、今でいうシティ・ポップを好んで聴いておりました。ラジオからカセットテープに録音した曲を何度も繰り返し聴いているうちに、同じアーティストさんの別の曲も聴きたくなってくるものです。しかし小学生のお小遣いではレコードショップでアルバムを買うにはあまりにも敷居が高過ぎました。そんな頃、タイミングが良いことに学校から自宅に帰る途中に図書館ができたのです。本や雑誌はもちろんのこと、カセットテープや当時出始めたばかりの CD もクラッシックやポップスだけでなく、図書館員さんのセンスなのかテクノパンクといったかなりマニアックなラインナップが揃っておりました。好奇心旺盛な私は気軽に借りられることもあって、これまで聴いたことがないジャンルの曲も積極的に聴くようになったのです。

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任天堂の初代ファミコンが我が家にやってきたのもこの時期でした。父が某大手IT企業に勤めていた経緯もあり、我が家にはそれまでもゲームウォッチも発売当初から何種類もありましたし、ポケコンに父がプログラムした自作ゲームを遊ぶことも日常的なことだったで、そういう意味では同年代のほかの子よりもデジタルコンテンツに触れる機会には恵まれた環境でした。

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テレビでは毎日のように『タイムボカン』シリーズでおなじみのタツノコプロさんや『ガンダム』を筆頭にロボットモノを得意とするサンライズさん、萌え絵の元祖と言っても過言ではない『うる星やつら』『クリィミーマミ』スタジオぴえろさんなどの制作したアニメがゴールデンタイムに流れており、『アニメージュ』『アニメディア』といったアニメ専門誌を私も毎月楽しみに読んでいたものです。映画は『風の谷のナウシカ』と原田知世さん主演大林宣彦監督の『時をかける少女』は大ブームになっていましたね。アニメや映画だけでなく、ドラマや CM も今現在と比べると思い出補正を抜きにしても良作が多かった気がしています。私も当時は角川映画の作品に強く影響を受けていたので、筒井康隆さんや小松左京さん、星新一さんなどの小説を好んで読んでおりました。そして、私にとって忘れられないのは、なんといっても『スター・ウォーズ』の大ヒットですね! 元々私は『仮面ライダー』や戦隊ヒーローモノといった特撮が大好きだったこともあり、テレビで放送されたメイキングのドキュメンタリーもかじりついて見ておりました。スター・ウォーズの壮大で迫力のあるシーンも実は小さな模型を使ってコマ撮りしているという様子を知って、コンピューターグラフィックが使われる以前の映像表現の工夫にたいへん興味を持ったのでした。

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私が中学に上がっても通学路はほぼ変わらなかったため、図書館にも毎日のように本と CD を借りるために通っておりました。新井素子さんや夢枕獏さん、岬兄悟さんなど現在のラノベの原型ともいえる 10 代の読者をターゲットにしたヤングアダルト小説が流行り出したのもこの頃あたりからだったように思います。音楽シーンではアメリカで『MTV』が大流行しておりまして、邦楽アーティストもミュージックビデオを作って新曲をプロモーションする流れが始まってきました。都内 23 区でも若干ノイズは入るものの『テレビ神奈川 ( TVK )』を視聴することができまして『ミュージックトマト JAPAN』という邦楽の MV (music video) が流れる番組を好んでよく見ていましたね。今は音楽を視聴できるネットサービスが充実していますが、昭和後期はメディアがテレビとラジオ、そして雑誌くらいしかなかったのです。

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そうそう、雑誌といえば80年代初期から中期の『月刊宝島』との出会いは、私にとても大きな影響を与えるものでした。戸川純さんが私にとってもっとも憧れる女性となり、音楽の好みもニューウェーブテクノパンクといったとがったものになっていきましたね。このあとにくるバンドブームの先駆けとなる『ラフィンノーズ』『有頂天』『THE WILLARD』といったインディーズバンドの出現により、大手レコード会社には所属しない『自主レーベル』という新たな音楽の発表スタイルが産声をあげたのもこの頃です。

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14 歳前後って人生のなかで、いちばん好奇心旺盛でその後の趣味趣向が決定される時期だと思うんですよね。私の中学時代はまだネットなど一般人が使えるような状況ではありませんでしたから、興味のあるものはテレビやラジオ、雑誌といった限られたメディアから自分で探し出し、それらを同級生同士のクチコミで教えたり教えてもらったりというのが当たり前でして、当時のブームというのはそうして出来上がっていったと言っても間違いではないでしょう。ソリコミ入れて眉も極細にした男子が男子が 12 面ダイスをペンケースに忍ばせてアニメやゲームを好むグループに混ざって TRPG を楽しんでいましたし、私も『To-Y』のニヤちゃんを真似してベレー帽を被り、学生カバンをリュックのように背負って登校したのも懐かしい思い出です。当時から客観的に見ても相当変わった子だった紅乃ですが、とくにいじめられることもなく、女子とも男子とも派閥やグループ関係なくいろんな人と仲良くできていたのは、みんながまだ知らない音楽や漫画などを面白おかしく伝えることができていたからなのかな、と思います。愉快なことを知っているということがひとつのステータスになっていた時代だったのかもしれません。とくにこれまで意識はしていませんでしたが、こうして振り返ってみると『興味を持たれる情報を伝えることでみんなとワクワクしたい』という今の私のアイデンティティがこのときに形成されたのでしょう。

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後編ではいよいよ紅乃がこの道にたどり着くことを決定づけた高校時代から出版社所属の編集者となるまでをお話していきます。今回お話した伏線が今後どのように回収され時代とともに進化していくのか!? お楽しみに! 


この記事は「バーチャルを通して自分らしい生き方を見つけ出す」をスローガンに noter としても Vtuber としても活躍されているスシテンコ先生をはじめ、思惟かねちゃんまゆにゃんウルリムさん、そして私 紅乃 翠 も参加しているマガジン『Vi-Cross』用に書かせていただいきました。ぜひ下記のマガジンのフォローもよろしくお願いいたします。 

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紅乃 翠 -Kureno Sui-
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