発信する?しない?
今は、あまりにも情報が多く、また発信する人も多くて、自分ごときが発信して何になる?という気持ちになります。ただ、大概の人間は、そばにいる人が喜んでいる、とか、怒っているとかの雰囲気はわかりますが、皆が皆、テレパシーの力を持っているわけではないので、言葉や行動にしないとわからないことも多いです。言わないほうが良いこともありますが、『言わなくてもわかるでしょ?』というのは、喧嘩のもとになるか、世間に出ようとしている物が、そのまま葬り去られていくことになります。
『日本農業再生論』を読んで
発信する、で思い出したのが『日本農業再生論』の本。「奇跡のリンゴ」を作り、自然栽培の農業指導をなさっている木村秋則さんと、石川県の市役所職員として「ローマ法王に米を食べさせた」高野誠鮮さんの対論集です。すこし前の本なので、時事的に少し古い内容もありますが、私が思い出したのは、木村さんの行動です。
最初に、横浜高島屋で物産展があった時、出店してくれないか、との依頼で行ったら、売り場はエスカレーターの空きスペース。段ボールを敷いてリンゴを並べたけど、そんなところにお客さんは来ない。午前中は、だれからも気づかれることなく、売り上げはゼロ。それで、午後からは段ボールを切ってメガホンを作り、エスカレーターに足を踏み入れようとする人に向かって「肥料、農薬を使わないリンゴです!」と呼び込んだら売れた。結局、売れに売れて、かなり評判を呼んだものだから百貨店の待遇が180度変わった。
これ、発信したからこそ、の結果ですよね。
「自分が作ったものに責任を持ち、自分が売るんだという決心がないまま、店やJAに寄りかかって、他人のふんどしで売るというのは、どこか違うような気がします。自分が作ったものに責任を持ってほしいから、私は、生産者たちに「行商しなさい」といつも言っているんです。」
これを、発信する、というのではないでしょうか?責任を持たないで発信するなら、マイナスのことも平気で言えてしまうかもしれません。
発信する際、気を付けたいこと
宇宙は、自分が発信したもの、を返してきます。バズるために、ありもしないマイナスのことや、愚痴を発信したら、そういうのが好きな人間が周りによってきて、苦しみばかりが多くなります。人の波動を上げること、元気になることを発信するなら、自分も元気になります。もちろん、真実を隠せ、ということではありません。ただ、お天道様が見ている、ってそういうことではないでしょうか。