「東京オリンピック反対」の理由
2020年東京オリンピックの延期から約一年。
延期された2021年オリンピックはあと2か月後に迫っています。
この中で昨今オリンピック中止の声が上がっています。
読売新聞の調査で「中止」は59%、無観客・観客制限での「開催」が39%と、若干中止世論が多数です。
最近では白血病からの復活し、代表に内定した池江璃花子さんに対する辞退を迫る要求や脅迫まで発生しました。
ここでは反対論が出る理由について考えます。
・読売新聞 2021年05月10日『東京五輪「中止」59%、「開催」39%…読売世論調査』
・読売新聞 2021年5月8日『池江璃花子、五輪辞退求める声に「私は何も変えることができない」…心境を吐露 』
・工藤てるや 2021年05月7日 Twitter
開催すべきなのか?
そもそもとしてオリンピックを開催するべきなのでしょうか。
それは感染拡大リスク・今後の開催コスト・開催による収益・違約金・開催により日本が得る感謝や信頼、といった諸条件がなければ判断できません。
現状では信頼できる予測も報道されておらず、例えば「観客を半数にすれば開催は妥当か」という問いをされても私自身回答に困ります。
昨今の世論もそうした科学的知見が不在の状況でなされています。
世論調査でも各自曖昧に「感染者が~人出るとして」という仮定して答えています。
それでもいくつか原則として言えることはあります。
一つは他の自粛行動と一貫性を保つべきということです。
オリンピックを中止した横で、より経済効果や社会的意義の小さい同規模のイベントが開催されるというのは、単純に政策として誤りでしょう。
オリンピックが持つ特別な意味を鑑みれば逆は言えません。
現時点では緊急事態宣言下でも上限人数は5000人かつ収容人数の半分までで、野球などの興業も概ねその基準で実施されています。
無観客でのイベント開催自体を自粛するという判断は世界中でも稀で、世界最多の死者数となった米国でも2020年MLBは実施されています(オープン戦は中止)。
オリンピック選手向けのワクチンが無償で提供されることを鑑みれば、少なくとも現状の感染規模ならば感染予防の観点で東京オリンピックの無観客開催までも否定する合理性はない、と考えるのが自然です。
・NHK 2021年5月8日『プロ野球 京セラドームは無観客 そのほか対象地域は5000人上限 』
・日本経済新聞 2021年5月6日『ファイザー、東京五輪選手団にワクチン供与 IOCと合意』
・Wikipedia『2020年のメジャーリーグベースボール』
もう一つは時間を戻して招致当時に遡るなら、開催や招致自体はするべきではなかっただろうという点です。
結果論から言ってオリンピックは当初期待した効果が得られませんでした。
コロナ禍での開催も一定の意義はあるとはいえ、事前に分かっていれば誰も立候補しなかっただろうと思います。
仮にトータルで利益が多かったとしても、別の年に立候補するべきだったという話です。
これは多くの人が合意できる点でしょう。
埋没費用の誤謬
よく見かける反対論は「どうせ赤字なのだから開催反対」という主張です。
これは、単純に誤りです。
開催しても開催しなくても赤字なら、赤字が少ない選択肢を取るべきです。
この誤りを「埋没費用の誤謬」と言います。
ここで言う「赤字」を少し整理します。
オリンピック開催コスト(1兆6440億円)の半数が会場整備コスト(9,280億円)です(うち恒久施設は3,460億円)。
これらは既に準備済みで、現時点で中止した場合も返ってきません。
残りは概ね実施に伴う費用ですが、支出済みを多く含み、契約上そのほとんども返ってこないでしょう。
もちろん中止の場合はスポンサーなどの賠償請求に応じなければなりません。
つまり「赤字」はトータルの話で、「開催するより中止した方が今後の損失が少なくなる」といった話ではありません。
・Olympic 組織委員会およびその他の経費
埋没費用とは「すでにある案に費用を支出したあとで他の案に変更したとき,その費用のうちもはや回収できなくなった部分」(ハイブリッド新辞林)です。
この場合、中止したとしても戻ってこない会場整備コストなどです。
埋没費用は定義の通り戻ってきません。が人々は多くの非合理な判断を下します。
分かりやすい例をWikipediaから引用します(ちなみに限界効用逓減の法則から考えれば以下の判断が合理的な場合もあります)。
例2:チケットを紛失した場合
ある映画のチケットを1800円で購入しこのチケットを紛失してしまった場合に、再度チケットを購入してでも映画を観るべきか否か。
チケットを購入したということは、その映画を見ることに少なくとも代金1800円と同等以上の価値があると感じていたはずである。一方で、紛失してしまったチケットの代金は埋没費用にあたるから、2度目の選択においては判断材料に入れないことが合理的である。
したがって、再度1800円のチケットを購入してでも、1800円以上の価値がある映画を観るのが経済学的には合理的な選択となる[2]。しかし人は、「その映画に3600円分の価値があるか」という基準で考えてしまいがちである。
「どうせ赤字だから中止しよう」と考える人はこれと同じ埋没費用の誤謬に嵌っています。
既に支出済みのコストは返ってきません。
経済を基準に判断するなら、今後の利益だけを考えなければなりません。
なおオリンピック中止の問題について「コンコルド効果で開催に突き進んでいる」と言う人がいます。
多くの人がコンコルド効果を「当初期待した利益が得られないなら早いうちに損切りするべき」程度に誤解しています。
ネット上でも「埋没費用の別名」としながら「投資を辞められない状態」と書いてある記事もありますが、少なくとも埋没費用は投資を中止する方向にも働きます。この点も少し誤解を招きます。
下の説明の場合、損失の「拡大」である点に注意してください。
・コンコルド効果|証券用語解説集|野村證券
「行動ファイナンスにおける認知バイアスの一種で、投資の継続が損失の拡大につながると分かっていても、それまでに費やした労力やお金、時間などを惜しんで投資がやめられない心理現象のこと。サンクコスト(埋没費用)効果とも呼ばれる。 」
自分の埋没費用の誤謬を、同義語であるはずの「コンコルド効果」で正当化しているのは皮肉です。
少なくとも東京オリンピックに関して考えれば、埋没費用は開催中止に有利に働くバイアスです。
誰も「コロナ禍でも当初夢見た東京オリンピックがそのまま実現できるはずだ」「ここまで投資したのだから後に引けない」などとは信じていません。
テレビを見るより飲みたい!
「オリンピックを開催するべきか」と問われた時、多くの人の頭に浮かぶのは「今自粛していることとオリンピック。どちらを望むか」とい問いでしょう。
そしてこの問いでオリンピックを選ぶ人は多くありません。
実を言うと私もオリンピックを選ばないタイプです。
オリンピックの時期は多少テレビで見ますし、少しは応援しますが、別に無くてもそう困りません。
テレビや政治家は「感動の瞬間を」みたいに言いますが、正直そう大げさなことかなくらいに思います。
ただこの判断基準は誤り、少なくともエゴイスティックです。
第一に選手という視点が抜けています。
世界中のオリンピック選手、選出されずともオリンピックを夢見るアスリートにとってオリンピックが開催されるかは大きな問題です。
オリンピックは単なる興業ではありません。
金が動くにしても、そこには間違いなく真摯にスポーツに励む人々が居て、人生を賭けているのです。
正直スポーツなんてどうでも良いとは思いますが、いろんな生き方があって良いというくらいのことは私も理解できます。
自分の意見を表明するにあたり自分の価値観を基準にすること自体は当然です。
期待している人が賛成し、していない人が反対し、政治家が世論を見て判断する。
しかし少数者であるアスリート達の存在は素朴な世論調査では抜け落ちてしまいます。
第二に、それはあくまで日本人の視点に過ぎません。
例えば東京オリンピック開催が全国民一回分の宴会と同じ程度の感染拡大に繋がると思っているとして、あなたは3倍くらい宴会をしたいとします。
当然、東京オリンピックに反対するでしょう。
「これだけ自粛してるのにオリンピックをやるなんて怪しからん」てなもんです。
しかし99%の国民が似たような選好を持っていたとして、世界には日本の60倍くらいの人間が居るわけです。
彼らも似たような選好を持っているとすれば、功利主義の立場からすれば圧倒的にオリンピックを開くべきです。
もちろん異論は承知しています。
「世界の人など知ったことではない」「なぜ我々が犠牲にならなければいけないのか」。
それはそうです。
中止を選択したとして、世界やIOCは我々の選択を尊重してくれるとは思います。
しかし少なくとも素朴な意見表明が功利主義という点で誤った結論を導いています。
加えてそれだけの利益を世界に与えたなら、我々もある程度の利益を得られるでしょう。
尊敬や名声であれ、今後の外交的利益であれ、知名度であれ。
そもそもオリンピック自体、他の候補地を押しのけて選定されるものであり、IOCとともに世界各国との約束でもあります。
この判断基準はそれが考慮されていません。
「たかが2週間テレビを賑わす程度のイベント」だとしても、世界中の人々がそこそこ楽しめるという点に意義があり貴重です。
他の問題として、前述のように前提となる「オリンピック開催が感染拡大に繋がる」という主張に根拠が欠ける点、一時的な経済損失と経済成長への悪影響といった視点が欠如している点も挙げられます。
政権批判
オリンピックを政権批判の道具にしようという人たちが居ます。
今更言うまでもないでしょう。
彼らは強引に政権を批判し、Twitterのトレンドをスパムで埋め、総理大臣の名前をカタカナで書いたり悪魔のように語ります。
彼らはノイジーマイノリティであり、実際の政策運営に反映されることはまずありませんが、言論空間にそれなりの影響を与えます。
もちろん野党を支持するのも、政権を批判するのも悪いことではありません。
多様な意見は民主主義にとって必要で、政府の行動は批判的に検証されるべきです。
しかし現時点の彼らを見ていると問題だらけです。
第一の問題は、政権批判を規範とした言論活動を行う彼らの情報に価値がないことです。
「なぜ彼らがこう発言するのか」という点では読み取れる点はあるにせよ、彼らの主張は「自分がどう思っているか」「論理的に正当か」とは関わりなく、「どの主張が政権批判に最適か」という基準で組み立てられます。
そうした発言は偶発的に新しい視点が含まれることがあるにしても、意見として尊重に値するものではなく、不必要に過剰な反駁コストを強いられます。
はっきり言ってマスメディアでのそれを含め、言論空間にとって利益より害が大きいのが現状です。
第二の問題は、政権批判をしたい立場からすれば「(政権に帰責可能な形で)国益を害することが自分たちの利益になる」という状況です。
彼らは様々な理由で政権攻撃自体が国益と考えているか、国益と関わりなく政権攻撃に価値を見出していて、実際の国益を度外視します。
国益への害は政権批判の格好の材料です。
その結果彼らは国益に最大の害を与えようと行動することになります。
結果から言えば予定の期日に開催できなかった東京オリンピックは国益に反するものだったかもしれません。
しかしそれは明らかに予測不可能で政権へ帰責できず、「新型コロナウイルスがなければ」という議論は結論が出ない割にもはやどうでも良い話です。
この件に関して、彼らの判断を考えてみます。
シナリオは4つです。
1. 開催の方が害が大きい。彼らの発言で中止に繋がる。
2. 開催の方が害が大きい。政府はいずれにせよ開催する。
3. 中止の方が害が大きい。彼らの発言で中止に繋がる。
4. 中止の方が害が大きい。政府はいずれにせよ開催する。
1.の場合、彼らに反対をするインセンティブがありません。
自分達の発言で中止になっても評価されるのは政府です。
「開催による害」も証明されないままです。
2.の場合、彼らは後から批判すれば良いだけです。
ですが「警告したのに開催した。政府のせいだ」との主張は説得的でしょう。
加えて正しいことのために好きなだけ発言できるわけですから、満足も得られます。
3.の場合、インセンティブが最大になります。
開催により政府が評価されるのを回避できる上、中止によってさらに批判できます。
中止を求めた彼らが責任を問われることはありません。
「中止を求めたが、無能な政権のせいで余計な損害が生じた」とでも言うでしょう。
4.の場合、彼らが取るべき戦略は中止シナリオの理想化と開催後における現実の否定です。
開催による感染拡大が確認できないなら、現時点で「感染拡大する」と批判したところで事実により否定されるだけです。
ですから現時点では「中止した場合、世界から評価される」「倫理的な理由で開催を反対するべきだ」、開催後は「政府は感染拡大がなかったと言うが嘘だ」「オリンピックのせいで変異株が広がった」と主張するのが得策です。
彼らはこの件ではかなり力強く声をあげています。
そうした場合、おそらく1.と予想していないだろうと考えられます。
2.の場合はここまで強く主張する動機はないはずです。
長い運動になるわけですから、今集中しても仕方ありません。
ただ彼らが開催による感染拡大を予見しているなら、攻撃への布石として現時点での批判は有効です。
最も蓋然性が高いのは3.です。
4.のような発言も見られますが、それにしては動きが強すぎるように思えます。
なおマスメディアの場合も政権批判に積極的ですが、中止は収益減少という直接的なリスクがある点が異なります。
賠償や保険でカバーできると考えていないなら、彼らが中止を主張する/否定的なニュースを流すのは中止されないと考える場合かつ範囲において、つまり2.か4.です。
北京オリンピックが控えている中国政府や中国人も同様の立場です。
なおマスメディアに関して言えば森喜朗前組織委員会会長の発言に対する恣意的な報道が広く批判を浴びています。
その当時は東京オリンピック中止の可能性まで疑われました。
時には政権批判の為に彼らの実益を無視した上で捏造に近い報道までするのがマスメディアの一面です。
野党の場合、彼らが求めて中止になった場合、多少は責任を負うことになります。
従って3.の場合に積極的に行動するインセンティブに欠けます。
もちろん政治家なので国益を基準とした行動もあり得、彼らが中止を要求する場合は1. 2. 4.のいずれかであると考えられます。
逆に言えば自分の意見によらず一定程度は中止を要求するのが合理的な戦略です。
なお政府の開催意思が強い場合には彼らの開催是非の評価に関わらず批判します。
自分の行動で国益への害が、つまり政権批判の機会が減ることを恐れなくて済むからです。
政権の立場からすればできるだけ曖昧にすることが批判を抑え込む手段ということになります。
注意すべき点は、彼らが本来求めるのは「国益への害」ではなく政権批判であることです。
従って行動が国益に適うと考えていても、政権批判に有用な場合は発言を行う場合があります。
例えば「批判されながら強行したという記録を残す」ことを目的に、不可能を前提に政府の失敗を防止しようとするといった行動を取ります。
あるいは東京オリンピックに関しては「実行すれば感染者/死者が出るが観測不可能。中止すれば目に見える損失が出る」という状況でも反対することがあり得ます。
ですから常に彼らの逆を行けば国益に適う、ということにはなりません。
また政権の責任だとは言えないようなところで国益を害する理由もありません。
例えばテロ行為などはしませんし、海外政府のスパイのような活動も不要です。
もう一点。
もし彼らに「あなたは国益を損ねるために批判しているのですか?」と問えば、大抵は「いいえ、私は国益の為に批判しています」と答えるでしょう。
あるいは「国益」を「国民の利益」などと言い換えるかもしれませんが。
この質問に正直に「はい」と答える人自体稀でしょうが、必ずしも嘘を吐いているわけではありません。
彼らは様々な理由で「政権批判/打倒が国益になる」と信じ、それ以外の国益を考慮していないか、無視できるものだと考えています。
その思想の典型が「マスメディアの権力監視機能」です。
政権批判が国益に繋がる場合も存在するのは事実ですが、現実的に見て現代には当てはまりません。
しかし明確に否定するのもまた容易ではありません。
彼らの考えに従うならば、彼らが棄損をもくろむ「国益」は「政権批判による国益」を除外して考えたものだと定義されます。
もちろん前述の通り政権に帰責できないような国益への害を求める理由もありません。
彼らは自分を愛国者だなどと考えているのでしょう。
第三の問題は、彼らを見分けるのが困難であることことがある点です。
多くの場合は彼らを見分けるのは容易です。
政権批判を目的とするせいで非合理で根拠がなく、口ぶりや行動も一般人のそれとは異なります。
この判別は現代に生き政治に触れる人は大抵身に着けているスキルでしょう。
しかし東京オリンピックの開催是非という問題は、普通に考えても中止という結論があり得ます。
そうした中で彼らを除外/サニタイズしてクリーンな議論を行うのは大変難しくなっています。
現時点で中止の声が政権批判派から上がっているとしても、中止の声全てが彼らによるものだとは言えません。
そのせいで普段は政権批判派には流されない人でも、今回は流されてしまうということが発生しています。
なお参考として池江璃花子選手への五輪出場辞退要請を行ったアカウントは応援系のアカウントより圧倒的に少なく、ほぼリベラル系とされています。
・鳥海不二夫 (Yahoo!ニュース) 2021年5月10日 『池江璃花子選手への五輪出場辞退要請は誰が行っているのか』
単一リソースの幻想
「単一リソースの幻想」というのは私の造語です。
政治の議論で本当によく見る誤謬なので、社会学者が既により適切な名前を付けていると思います。
ただ私は知りませんし、検索もできませんでした。
東京オリンピックへの批判の一つに「貴重な医師や看護師をオリンピックに配置するのか」というものがあります。
これは注意の必要な議論です。
・毎日新聞 2021年5月3日『スポーツドクター200人「無償で」 募集した五輪組織委に批判』
・女性自身(Yahoo!ニュース) 2021年5月4日『医療従事者を“ただ働き”で募集…五輪組織委に大ブーイング』
我々が例えば「医師不足」のような言葉を聞く時、「残り医師数」のような資源があって医師が一人仕事に従事すれば数字が一つ減る、のような想像をしがちです。
それは間違いです。
同じ「医師」でも外科医・内科医・研究者、さらに細かい専門分野、スキルや仕事の好み、とにかく様々で多くの場合は非互換です。
様々な議論で、このように単純に足し算できない数字を一緒くたにして、一つの「リソース」として扱えると考えてしまう間違いを見掛けます。
本当によく見ます。
うんざりします。
研究結果を見て「そんな研究する時間があるなら、~(全く別の分野)を研究した方が良い」と言ったり、「そんな機能を作る暇があれば~を作るべきだ」だとか、あらゆる分野で見かけることです。
実際にはあることでニュースになる程の成果を上げる人材も、別のことをやらせれば大したことはできません。
誰もがある程度自分が得意でやりたいことをやっているのがこの世の中です。
このニュースでもそうです。
スポーツドクターはスポーツドクターで、病理科の医師は病理科の医師です。
なら看護師は看護師だから全員新型コロナウイルス対策に割り当てられるか、と言えばそれも違います。
新型コロナウィルスの現場に立って命を救いたいという人もいれば、絶対に関わりたくない人も、ワクチン接種で手助けをしたいという人も、そうでない人も、オリンピックに関わりたいという人も、とにかく専門分野に加え志望も様々です。
職業選択の自由が存在する日本ではやりたくない仕事をやらせることは、もちろんある程度はできますが、限度があります。
確かに「新型コロナウイルスにより医療が逼迫して、それ以外の病棟も厳しい状態だ」というのも事実です。
「オリンピック、あるいはそれに限らずあらゆる経済活動を行うことで、多少は新型コロナウイルス対策に悪影響があるかもしれない」というのも誤りではありません。
しかし実際にはある分野で逼迫していても別の分野では余剰があるもので、「オリンピックに医師や看護師が動員され医療が逼迫する」などという主張は現実的とは言えません。
仮に主張するには十分な論証が必要です。
精神論を言いたいなら話は別ですが。
陰謀論
新型コロナウイルスにおいては最初から陰謀論が繰り返されました。
例えば「政府は感染規模を小さく見せるため検査数を絞っている」「検査は8万円の自己負担」など。
世界でも、「ワクチンは無駄」や「電磁波により新型コロナウイルスに感染しやすくなる」といったデマが広がりました。
東京オリンピックに関しても陰謀論は多く囁かれました。
2020年には「五輪延期決定直後に検査数が急増」、最近は「電通がオリンピック実施に世論誘導している」「池江璃花子氏は電通の工作員」のようなものがあります。
私個人としては陰謀論の意義をある程度認めています。
多様な意見をもたらす源泉であり、事実でなくとも「そうであったら問題だ」という視点の意見として評価できるものもあります。
例えば政権が悪意を持って行動していた場合にも対処できるよう行動するというのも意義のある考え方です。
しかしそうしたことを主張する人々と対話するのは疲れます。
一々反論するのも手間ですし、アドホックな仮説に繋がり反証は困難です。
ここでそれらに触れるにはただでさえ長い記事がさらに伸びます。
とりあえず新型コロナウイルスに関わる偽情報に関しては以下のファクトチェックサイトを参照してください。
はっきり言って政治的意図に基づいているように見えるもの、否定になっていないものなど疑わしいものも多々ありますが、それでも私としてはかなり有用だと考えています。
その他のファクトチェックは各自見つけてください。
・ファクトチェック・イニシアティブ 『新型コロナウイルス特設サイト』
「海外のマスメディアが批判」
国内のマスメディアから「海外のマスメディアからもオリンピック中止の声が上がっている」という記事がいくつかあります。
・SankeiBiz 2021年5月6日『日本に東京五輪中止促す 米有力紙、IOC批判』
・時事通信 2021年05月12日『「危険な茶番劇やめる時」 米紙、中止求めるコラム掲載―東京五輪』
「日本のマスコミが報じる海外マスコミの反応」のニュースを何度か見た人には常識ですが、海外報道を日本メディアが取り上げる時には明白なバイアスがあります。
一つは自分達の意見を補強する報道をピックアップすること。つまり原則として政権批判です。
一つは自分達が報じる内容を海外メディアを通して逆輸入する傾向があることです。
いわゆる「ご注進報道」の一貫で、上で述べた政権批判のために国益を損ねる典型例です。
上二つの記事どちらもニューヨーク・タイムズによるもので2007年にはニューズウィークから「同紙が日本関連の記事を書くときは、いつも好意的に書かないのに決まっている」と言われています(Wikipediaで確認)。
また日本においては朝日新聞社と提携しています。
これは報道自体を否定するものではありませんが、私の経験として海外メディアは日本のことに関しては国内メディアより中立的というか、距離を取った報道をすることが多いです。遠い国の話なので当たり前です。
国内メディアの報道とは印象が違います。
参考に以下の記事を示します。
・THE PAGE(Yahoo!ニュース) 2021年4月15日『東京五輪まで100日を海外メディアはどう報じたか…「悲観的な見方と不安が今なお残る」「ワクチン接種が1%以下は問題だ!」』
・BBC News (YouTube) 2021年5月11日 "Will the Tokyo Olympic Games go ahead? - BBC News"
たまたま先程見たBBCニュースの動画を要約します。
個人的に定点観測としてBBC(英国放送協会)とDW(ドイチェ・ヴェレ/ドイツ/英語版)をよく見ます。
アナウンサー「東京オリンピックまで70日です。問題は彼らは進むのか、進べきなのかです。IOCが来週日本に来る予定が中止になりました。日本は感染者が増加中かつ緊急事態宣言下で、ワクチン接種率は2%です。日本政府は厳しい立場に立たされています。」
(菅首相が「オリンピックファースト」を否定する国会質疑。日テレNEWS24。)
アナウンサー「世論調査ではキャンセル38%、延期28%、実施35%です(TBS)。テスト大会が行われ、厳しい対策手順で選手に感染者は出ていません。」
ジャスティン・ガトリン「安全以上だと感じます。毎日検査し、バブルが機能しています。接触が少なく、カフェテリアで食事すらしません。」
大坂なおみ「参加したいですが、一人の人間として懸念があるのは当然だと思います。」
アナウンサー「日本政府は選手の家族の入国を認めていません。」
セリーナ・ウィリアムズ「今まで娘と24時間離れたことはありません。そういうことです。」
(残りはマイケル・ペイン(元IOCのマーケティング部門責任者)との受け答え。ペイン氏は概ね好意的。割愛。)
結構印象と違うという人もいるのではないですか?
オリンピック関連の海外報道はまだあまり見かけませんが、日本関係の報道は大抵こういう毒にも薬にもならぬという感のものが多いです。
特にBBCは元々こういうスタンスだというのもあります。
選手家族の入国という視点は国内報道では見かけなかったので少し新鮮ですね。
倫理的批判
「倫理的にオリンピックは行うべきではない」という批判もあります。
いくつかのパターンがあります。
1. (東京オリンピックによる死者が出るという前提で)そうした大会に関わるのは倫理に反する。
2. ワクチンが日本国民よりオリンピック選手に優先される。倫理に反する。
3. 本来途上国に行くべきワクチンがオリンピック選手に渡される。〃。
4. 子供の部活や運動会が出来なかったのに…。〃。
1.に関して、元々選手や周囲の人の間で死者が出ると分かっているならやるべきではありません。
日本政府だってやらないでしょうし、科学的試算があるなら誰かが内部告発してもおかしくありません。
要するに前提が疑わしいです。
抽象的に感染拡大から死者に繋がるという批判であれば、飲食店の営業や外出など様々な行動に言えることです。
実際に多くの人が潜在的な倫理的問題を抱えると理解しながら外出などを行っています。
ですが無意味な批判だとは言えません。
2.に関して、現時点でもワクチンの確保数より会場や看護師の確保がボトルネックになっています。
そもそもワクチンは日本人とは別枠で確保されています。
余り現実的ではないと思いますが、しかし事実なら考慮に値する批判です。
諸外国でも日本でも首脳がワクチンを優先されるように、オリンピック選手にもなれば優先しても良い気はしますが。
ちなみに現時点では(政権批判に不向きなので)あまり注目されていませんが、選手は毎日PCR検査を行います。
それらは自治体負担なので同様の批判が成り立ちます。
余裕は出てきたとはいえ有限のリソースです。
日刊スポーツ 2021年4月30日『五輪選手への毎日コロナ検査は自治体負担「正直厳しいところも」』
3.は普通に倫理的問題だと思います。
特に貧しい国から出場するオリンピック選手などは、同国内で問題視される可能性も否定できません。
日本国内の安全の為にはやむを得ませんし、その為に中止するのも馬鹿げているとは思いますが、一つの視点ではあります。
倫理に厳格な人であれば問題視するのも自然です。
4.はまぁ、その運動会はオリンピック並みの価値があるんですかと。
感染対策から考えて、オリンピックを中止して行える運動会は二つか三つといったところではないでしょうか。
全体的に倫理的批判は説得的に感じます。
ただ発言者は建前というか口実というか、普段問題視しないことを問題視しているように見えます。
外国勢力
一昔前までは陰謀論で済まされましたが、現在では外国勢力による世論誘導が現実的な問題になっています。
・CNN 2020年6月12日『ツイッター、中国政府寄りのアカウント17万件を削除 新型コロナ関連で世論誘導』
・日本経済新聞 2020年6月12日『ツイッター、世論誘導の不正アカウント3万件を削除』 (中国とトルコ、ロシアの各国政府による世論誘導)
・朝日新聞 2017年8月4日『韓国情報機関、ネット世論誘導部隊を運営 李政権当時』
中国は概ね東京オリンピックに対し積極的だと言われています。
2022年北京オリンピックを来年2月に2022年北京オリンピックを控え、ワクチン接種が人口の100%に達するのは厳しい上、ワクチン自体の信頼性が疑われる状況です。
東京オリンピックが中止になれば似た状況の北京オリンピックも厳しい状況に追い込まれるでしょう。
だからと言って日本で開催賛成への世論誘導を行うのはさすがに迂遠ですが、あり得ないとは言えません。
・REUTERS 2021年5月10日『中国、東京五輪支持する意向=習主席』
・中央日報(韓国) 2021年3月4日『中国、今年中に8億9000万人がワクチン接種…「来年五輪を意識」』
ロシアの立場はよく分かりませんが、わざわざ日本に嫌がらせをする動機は思い浮かびません。
なおロシア選手はドーピング不正に関わるデータ改竄に伴い、東京オリンピックを含め4年間国としての参加が認められていません。
だからと言って嫌がらせで東京オリンピックを潰すようなことはしないでしょう。
北朝鮮は東京オリンピックに不参加を決定しましたが、世論誘導の能力は未知数です。
おそらく大してないでしょう。
一応日本国内に朝鮮総聯が存在し、朝鮮学校の授業料無償化に関する工作活動を行っています。
韓国は以前から東京オリンピックに反対する民間のプロパガンダ組織(VANK)があります。
それ以外の反日活動の一環として東京オリンピックへの攻撃が見受けられます。
政府としては目立った動きはありません。
韓国の世論誘導の能力は、日本以外ではある程度の実績を上げていますが、日本では存在が広く認識されています。
韓国の政府や国内外の国民が世論誘導を試みる疑いは否定できませんが、私としてはそれほど大きな影響はないと思います。
韓国選手も参加することから、実際に中止になることは望まないと考えるのが自然です。
北朝鮮の不参加にも同調しませんでした。
・産経新聞 2020年1月14日『【外交安保取材】韓国で東京五輪の印象悪化狙ったプロパガンダまたも』
・REUTERS 2019年12月4日『韓国、東京五輪で選手の食材持ち込みを計画 放射線測定器も』
概して今回の東京オリンピック反対世論が外国勢力により形成されたという疑いは小さいというのが私の判断です。
まとめ
ここまで、東京オリンピック開催否定意見に繋がる構造や認知バイアスが存在することを紹介しました。
ここ一週間程度オリンピック開催への否定報道やSNSでのトレンドが目につきますが、こうしたことが原因だと考えられます。
特に政権批判を目的とした発言と思しいものが目につきます。
またいくつかの批判の分析も行いました。
ただ結局のところ、開催是非の判断は感染拡大リスクの科学的評価に基づくべきであり、私を含めてほとんどの人はそれらの情報を持っていません。
現状での世論は各々の曖昧な感覚に基づく根拠の薄いもので、そう気にする必要はないと思います。
正直世論調査でも何となく答えた人が多いでしょう。
そうした中で推測と思い込みに基づいた発言が繰り返されているのが現状です。
私としても感染拡大リスクが極端に高いなら開催に賛成はしません。
ただワクチンに加え「バブル」による徹底した感染対策も知っているので、もちろん多少粗はあると思いますが、あまり心配はしていません。
反対派は現状説得的な科学的根拠を示せていません。
私の意見は既に述べた通り、少なくとも無観客なら開催すべきというものです。
一方でどれほど観客を入れるかは、概ね開催時点の自粛基準に基づくべきかと思います。
科学的・合理的であり、尊重されるべき基準です。
ただ「自粛を求める側はそれを完全に実現しなければならない」という非科学的・非合理的な精神論にははっきりと反対します。
科学者であれ医師であれ政治家であれ、自分が徹底できるか否かに関わらず最も正しい発言をするべきです。
「自分はできないから言わない」など許されません。
ですので国のイベントという理由でオリンピックにだけ特別に厳しい自粛の遵守を求めるのは反対します。
しかし現状を見る限りそれが問題になることはないでしょう。
なお逆に特別なイベントであることから例外的な扱いをすることは選択肢ではあるとは思います。
ただ原則としてやはり賛成しません。自粛の基準を守るべきです。
結局ワクチンがオリンピックに間に合うならばシンプルな話だったと思います。
できるだけ迅速にワクチン接種が実現することが、オリンピック実施の話に限らず、重要なのは間違いありません。
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