度肝を抜かれた銀婚式
どこから突っ込んでいいのかわからなくて、これを夜中に1人で読んだ時、誰かと共有したいけどできなくて、悶絶したのを覚えています。
文仁親王同妃両殿下ご結婚満25年に際してのご感想
時間があったら、これ読んでみてください。
なぜか、なんでなのかわからないけど、結婚25年の感想を、対談形式で出している。。。
誰のアイデアなのか、、、
何でこれがいいと思ったのか、、、
どうして普通にやらないのか、、、
疑問だらけ。
ちょっとだけ中身を紹介すると、対談は下記のテーマに分かれて会話形式になっています。
<出会い>
<結婚に向けた準備>
<結婚の日と新居>
<日本国内・海外などの訪問に関連して>
<子どもたちのこと>
<結婚したころと今と>
<夫、妻、親として>
全編通して、「なんでこんなことやってるの????恥ずかしくないのか。。。」という感想だけなのですが、1カ所だけ、引っかかり、そして腹が立つ部分があります。
引用します。
文仁
少し時計の針を進めましょう。私が大学を卒業したのが1988年ですが,その年の夏から暫くの間英国に滞在しました。この間,昭和天皇のご不例と崩御があったことから,しばしば日本に帰ることになりました。日本にいる間は,諸行事に参列するためだったのですが,そのおりに,将来のことについていろいろと話す機会にもなりました。そして,1989年の9月に公表するに至りました。これはいわゆる結納に当たる正式な婚約ではなく,皇室会議の議を経て婚約が内定したということを発表する機会でした。服喪中のこうした発表は異例なことと思った人がいたようですが,1951年7月の順宮(現池田厚子)様の発表は貞明皇后の崩御から約2ヶ月後で,しかも当時参考としていた旧皇室服喪令によると,私たちの発表時期より一段階重い服喪期間中でしたので,手続きを終えたという発表は前例にもあり問題ないと宮内庁は判断したわけです。
そして,私たちの結婚の時期についてです。秩父宮両殿下のご婚儀が1928年9月末で,昭和天皇の即位の礼が同年の11月初旬。その間は2ヶ月もなく,大変だったことを両陛下が聞いていらしたそうです。そのようなことから,私たちのときには,結婚から同じ年の11月予定の即位の礼までにある程度の時間があったほうがよいとのことで,私が帰国した直後に式がおこなわれることになりました。
言い訳挟んできてる!!!!!!!
前段については「私たち婚約発表したのは昭和天皇が亡くなった年の9月。8か月後。順宮(現池田厚子)様の発表は貞明皇后の崩御から約2ヶ月後」「しかも当時参考としていた旧皇室服喪令によると,私たちの発表時期より一段階重い服喪期間中」
こうやって、実名も出しつつ、「自分たちより失礼なことをしていた人たちが過去にいるからおかしくない」って主張するのって、卑しくないですか?
しかも「手続きを終えたという発表は前例にもあり問題ないと宮内庁は判断したわけです。」と、宮内庁の判断というふうにもして、逃げてるし。
後段も同じように正当化しています。秋篠宮の結婚の儀は平成2年6月、平成の即位の礼は同11月だったのですが、「秩父宮両殿下のご婚儀が1928年9月末で,昭和天皇の即位の礼が同年の11月初旬。その間は2ヶ月もなく,大変だったことを両陛下が聞いていらしたそうです。」
今度は秩父宮さまをディスってる。
どこから突っ込んでいいかわからない。人として失礼過ぎる。
これを止めない宮内庁もおかしい。まあ、止めたら激怒するとかなんか理由があるのでしょう。
もしくは、職員に嫌われすぎていて、出させることによってこの夫婦の非常識さを白日のもとにさらそうとしたのかもしれません。
彼らはこういう文書を発表することで、自分たちの品位を下げていると思わないのでしょうか。
まあ、国民としては「こういうやつなのね」というのが、明らかなソースでわかるのでそこはいい点ですが。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?