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【寄稿】ICUが皇族に向いていないと思う理由~~あるICU卒のつぶやき【その1】

友人のさといも花子さんに寄稿をいただきました!彼女はICUの卒業生。眞子さまと通っていた時期は被らないのですが、そう遠くもない年齢です。
それで、一緒にご飯を食べているときに、「そもそもICUという学校に皇族がいることがおかしいんですよ」とコメント。「それ、ブログ書いて!」とお願いし、その後も再三催促し笑、今回の寄稿と相成りました!

大変内容が濃いので、2回に分けます。
では、お読みください!

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最近の眞子さまや佳子さまを巡る記事を読んでいると、つくづくICUは皇室には無理だと思う。小室圭くんが、ではない。眞子さまと佳子さまが、である。

生まれながらに皇族の方々に無理も何もないのだが、けど彼女たちもICU生だったのだから、その観点から考えたい。ICU生では当たり前の感覚は、「国民が求める皇室像」とはかけ離れているのである。

発端は「佳子さまの乱」

一番そう感じたのは、眞子さまの結婚問題を巡る佳子さまの発言。

「姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい」

この発言に対してバッシングの嵐が吹き荒れた。

批判をまとめると「一個人とは一般国民の立場の表現であり、皇室が使うべき表現ではない」ということらしい。

え?皇室は結婚という極めてプライベートのことに個人の希望かなえちゃダメなの?マジ?どういう時代錯誤?いや、もはや人権侵害?と思った。

ICUでは「個」を尊重

どんなに世の中がAを理想としていても、Bが良いと「一個人」の意見を主張することは、ICUのリベラルアーツでとても大事にされている。
入学していきなり「Critical Thinking(批判的思考)」というアメリカ仕込みの思考法を叩き込む。周囲に流されるな!常識を疑え!答えは自ら考えろ!という教えである。

同級生の呼び方だって、初対面から名前呼び捨てである。1年生必修の英語クラスで英語でしかしゃべっちゃダメなので自然とそうなる。
卒業した後に久しぶりに会ったら「あ、こいつの苗字なんだっけ」と思い出せず、たいして親しくもない相手まで名前を呼び捨てにしてしまう始末だ。

だから、私が会ったことのある、眞子さま同学年のICU生は「眞子は~」と普通に呼び捨てしていた。そのICU生いわく、ICUでの眞子さまは近くに爺やだか婆やだかみたいな人が1人いる以外は本当に他の学生と変わらなかったらしい。だから、ICUにいる間は、皇族だろうが容赦なく初対面の相手から「眞子」「佳子」と呼び捨てにされていたに違いない。アメリカやイギリスなど外国ならともかく、この日本のど真ん中で、である。

うん、こんな大学いったら、そりゃ「一個人」の意見も言いたくなるよね。

皇族は特別

けどダメなのである。だって、彼女たちは皇族だから。

「眞子は~」と呼び捨てにしたICU生も社会人になり、今は気づいているはずである。
眞子さま佳子さまと自分は別世界の人間だということを。

卒業早々、どこぞの名誉会長に就き、国の代表として各国のロイヤルと親善交流を行い、ダンスでも披露しようものなら警察が休日返上で警備する方々なのである。

ICU生の多くは卒業早々、会社でパワハラまがいの上司から嫌味を言われ、満員電車に揺られ、もう嫌だ会社辞めたいとサラリーマン生活にうんざりしたころに気づくだろう。
ICUの空間は特別だったと。皇族は特別なんだと。

「400万円返せ」「いや返さない」のトラブルがある男はどうかと思うが、一般家庭であれば親戚間でひと悶着あっても、他人が口出ししてくることはない。他人もそんな暇じゃないしね。

けど、皇族は違う。国民総親戚となって、まるで姪か娘の結婚事のように口出ししてくる。記事も写真も出るわ出るわ。

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その2に続きます。
こちらです!


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