創作スランプの脱し方
本日は創作スランプの脱し方というお題でお話ししたい。これは非常に価値のある話で、金額に換算すると一千億兆円くらいにはなろうかと思う。
スランプといってもいきなり来るものではない。それは徐々に侵食してくるものなのだ。
弛緩した状態で過去に書いた自分の原稿を読み『あれ? なんか凄く良く書けてない? えっ、コレどういう心持ちで書いたんだっけ?』みたいなことになったら、それは危険信号の第一段階である。
過去に自分が書いたものに恐れおののく。その状態で書こうとしても、身体はすっかり萎縮し、一行目から満足に書き出す事が出来なくなっていることに愕然とする。
こんなはずじゃない。俺は書けるんだ。現に大長編を前に書き上げたではないか。
焦り、焦燥、空回り。そんな状態に陥っているのならば、今のあなたはスランプの第二段階である。
そんな馬鹿な。俺は本当はやれるのだ。そんな想いで不安をかき消そうと貴方は本屋へ行く。そして物語の組み立て方、人の心を掴むストーリー作り、といった創作ハウツー本に手を出す。
それらを読めば、動きの鈍った身体が、再び動きだすのではないか、といった、藁をも縋る一心からである。
結論から先に言えば、それでは何も解決しない。混迷は確実に深まるだけである。
小説が異性ならば、ハウツー本にすがる貴方は、呆気なくフラれる事だろう。芯がない、自分を持っていない、魅力がない、というセリフを残されて。
一行も書けなくなった貴方は、スランプの第三段階にいる。どうしてこうなったのか分からない。あれだけ書けたのに。原因不明である。
過去と現在の決定的な違いとは何か。それは貴方が【ゾーン】に入っているか、そうでないかである。
処方箋の一例をご紹介しよう。
まず、ひっきりなしに鳴る、貴方のスマホの電源をオフにするかマナーにする。
そして自室に籠り自分と向き合う。
俺は書けるのだ。書いてきたのだ。目を閉じると貴方はスタジアムの真ん中にいる。割れんばかりの大合唱コール。貴方は観客から名前を呼ばれているのだ。
貴方の書く面白い文章を、インターネットの先で多くの人が待っている。
貴方は少しでも早く完成させて、観客に見せて喜んで貰ったり、驚いて貰ったり、感心してもらいたい気持ちが高まってくる。
担当の美人編集者が貴方の横に立っている。締め切りはとっくに過ぎているのだ。
編集者は怒っている。きわどいボンテージ姿に、手にはショートムチが見える。
股間の付け根のはみ出した肉が、太ももが寄ったものなのか、いやらしい肉なのか、貴方は気が気ではない。
「締め切りは過ぎているわよ。いつまでのんびりしてるの!」
美人編集者は怒って、貴方の尻にムチをお見舞いする。
とんでもない激痛が下半身に走る。ここで貴方は喜びの表情を決して出してはいけない。おしおきが実はご褒美であることを相手に悟られてはならない。
貴方は更なるご褒美を求めて、手をワナワナと振るわせ、口元はアウアウといいながら、か弱い物乞いのように小さく震える。
その覇気のなさに編集者は先ほどよりも強い力で貴方の生尻にムチをお見舞いする。先ほどと反対側の尻だ。
白い半ケツに、みみず腫れが浮かび上がる。
ご褒美を二連発でチャージした貴方は、少しずつヤル気が出てくる。
超満員のスタジアムは貴方の新作を待っている。貴方は最新作が常に最高傑作なのだ。
美人編集者にも喜んで欲しい気持ちは当然ある。
熱狂するスタジアム。千差万別の観客。人間は見た目が同じだから、考えることも大体は同じだろう、と思いがちだが、ここに恐ろしい真実を書き添えておこう。人間は全て、考えている事は全く違う。脳を駆け巡る電気信号は、決して誰一人同じ軌道を描かない。
『それならば何故、世にはヒット作が存在するのか、脳の動きは全然違うと言うが、多くの人の心を掴む作品はあるではないか。大多数の人間が高評価を下すのなら、大多数の人間の脳の動きは同一ということではないのか』と貴方は詰め寄るかもしれない。
人の心を掴む傑作に、ノウハウなどないのだ。肝心なのは突き抜けたエモーションだけなのである。
貴方の脳内で組み立てたストーリーを自分でなぞり、その時感動したり、爆笑したり、泣いたり、怖がったり。
俯瞰した状態で己のエモーションが揺さぶられれば、その時が傑作の誕生する時なのだ。その突き抜けたエモーション、高揚感だけが、他人に理屈抜きで伝播し、感動させるのだ。そこにテクニックなどない。
美しい文章が、正しい日本語が、卓越した風景描写をまだマスターしていないから、この数冊のハウツー本を読み終わったら必ず新作に取り掛かるから。
人はそんな小手先のテクニックごときで感動などしない。貴方が脳内で構築し、読み返して自分でも打ち震えた感動だけが、唯一他人の心を揺さぶり、動かせるものなのだ。
そして貴方の吸収はとっくに終わっているはずだ。心動かされる数々の作品を読んできたからこそ、自分でもやってみようと思ったのではないのか。
やるべきことは、自分の原体験と向き合うことだ。どんな作品の、どんな所に感動をしたのか。最初、自分なりにどういう形で纏めたのか。読者からどんな感想を貰って嬉しかったのか。その時自分の武器や長所は何だと思ったか。
それらを思い出せば、筆など止まるはずがない。一刻も早くこの俺の面白い文章を人に見せなくては、という使命感すら心の内に芽生えるはずだ。止まっている時間が勿体無い、と。
自己満足ではないのか? そんな心配など後回しだ。恥ずかしい事など何一つない。物作りに【陶酔】は絶対に必要である。創作をする者は狂気を背負い、自分で考えた事に感動や爆笑するくらいでなければ始まらないのだ。
貴方のスランプの原因は、その辺りの自己催眠、陶酔の欠如にある。
その状態に達していないのなら、まだ貴方の創作の機は熟してはいない、ということだ。
スランプである状態を愛し、慈しみ、次に来る脳内の爆発が始まるまで、充分に英気を養うだけのことなのだ。
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