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人生を消去したい、夏

人生を消したい、夏。
今年もいよいよ残り半分。
私にとって夏は四季の中で、最も最大の敵。 茹だるように肌にじっとりと焼き付いて離れない日差しも、自然で健やかに生きている虫達も、その嫌いなものを許容できない自分の心の狭さも、全てが嫌い。
…いや、全てというのは少し語弊があるかも。
夏の行事はそれなりに、適度に好きかもしれない。お祭りもプールも海も、誰か誘えないかなあと考えて、今年開催される夏の行事を調べる意欲があるくらいには好き。
それでも結局、暑いからまた今度でいっか…となってしまう己の意思の弱さ。軟弱。三十九度とかいう地獄のマグマのような暑さでも、人間ってなんだかんだ生きていられるんだなあとしみじみ思う夏です。


私は常に、自分の中にあるとてつもなく大きくて自分には到底手に負えない、抱えきれないほどの孤独感や虚無感を背負って生きている。
自分が背負っている持病もおそらくは関係しているかとは思うが、最近は本当に本当に、毎日死にたくて、消えたくて仕方がない。ベッドの上で途方に暮れながら涙を流して、己の生き様を恥じる日々。
特に辛い孤独感や虚無感は、何かを楽しんだ後に突然襲ってくる類のものだ。まるで『お前なんかが幸せになって良いわけがない』と言われているように感じる。自分自身に責められていると感じてしまう。

例えて言うのであれば、漠然とした手が届きそうで届かない距離にある『希死念慮』という感情が『扉』という形で目の前に、じっと、ずっと佇んでいる。その『扉』の取手に手をかける。回してもその『扉』に通ずる『鍵』がないからあかない。そんな感じ。
その『鍵』が見つかってしまえば、恐らく私は簡単にその先へ行くだろう。だがその『扉』を開けることが出来ないまま大人になってしまった。
お祭りもプールも海も、そういう硝子珠みたいにきらきらして輝くような思い出の後にあるものを見たくないのだと思う。

誰かに助けて欲しくて、助けを求めたくて、人を好きでい続けたいのにそれを素直にできない自分も、自分の人生を他者に委ねて救いを求めようとする自分の浅はかさにも嫌気が差す。


自分を好きになりたい!これが自分の人生においての目標。
早く叶えられる日が来ると良いな、と思う。
扉が救済になる前にね〜

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