心のデトックス|生き方や性別の自由は、自然の流れなのかもしれない
「息子がある日、『僕、実は男が好きなんだ』とカミングアウトしても、イイじゃん!好きに生きなよ!って言う自信がある」
息子が生まれたとき、私はそう思っていました。この子がどんな選択をしても私はそれを受け入れるし、どんな性別・生き方を選んでも、それを尊重できると思い込んでいたのです。
でもあるとき、弟からこんな相談をされたとき、私の心はゆらぎました。
「僕の友達なんだけど、最近彼女ができたんだ。結婚するっていってるんだけど、その彼女、元男らしいんだよ…どう思う?」
その事情は省きますが、私は「息子がLGBTだったとしてもそれを受け入れる」自信はあったくせに、ある日息子が「元男のパートナー」を連れてきたとき、ひるむだろうなと思ってしまったのです。完全に、私の認識の欠如でした。私の中では、「LGBTではなかった。だったらきっと定型通り、いつか孫を見せてくれるだろう」みたいな思い込みがあったのです。結婚しないかもとは考えていましたが、好きになった女性がトランスジェンダーだった、もしくは性別など気にしなくなっていた、というパターンを全く想定していませんでした。
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本当に申し訳ないのですが、私もちょっと前まで「子孫を残すのは生命の基本的な本能」みたいな考え方があったのです。そういう目線から考えると、LGBTは本能にそぐわないものなのでは、という差別的な心があったことを認めなければなりません。それは私の身近にそういう人がいなかったこともありますし、私自身の未熟さゆえの稚拙な考え方でした。そして身近にいなかったわけではなく、隠されてきたというのが正解でしょう。
娘はASDです。発達障害と呼ばれるものですね。小学生ですが、「公園、いきたい」くらいの2語文がやっと。コミュニケーション面を含め、成長がゆっくりです。そういう育児を通して、「普通とはなんぞや」ということを、毎日のように考えています。そんな私ですら、LGBTに関してはやっぱりどこかで「他人事」のようにとらえていたのだと思います。
しかし本能とはいえ、私という個人が子孫を残すことというのは、そこまで大切なことなのでしょうか。
思えば、地球に最初の生命が発生して、現代の人間へと進化を続ける過程で、命は常に地球とともにあったわけです。むしろ、地球という生命体のひとつの細胞のような存在だったのだろうと想像します。
私たち人間の歴史は、地球の歴史を24時間に換算すると、最後の3秒くらいのほんの一瞬でしかないといいます。その3秒で、人間は爆発的に増殖し、地球環境を破壊するような状況にもなっているのです。
「昔の女の人は子どもを10人以上生んだ」
それは、それだけ生まなければ残せなかったというステージだったからではないでしょうか。ウミガメがたくさん卵を産むことでほかの生物の命が保たれるように、すべての命に意味があります。
日本は少子化が問題になっていますが、世界を見ると人口は増加の一途。国連連合広報センターの「世界人口推計2019年版」によると、2019年時点で世界の人口は77億、2030年には10%増の85億、2050年には97億に達するといわれています。
地球から見れば、そろそろ人間は子孫をたくさん残すことから、全体のバランスを保つステージに移行していてもおかしくないわけです。そういう意味では、性別にとらわれない生き方、子どもを持たない選択をする人、そういったことを自然と考える人が増えること自体、なんらおかしなことはないような気がしてきます。
もちろん、すべての人が子孫を残さなければいつかは絶滅ということになりますが、そんな極端なことを言っているわけではありません。でも、このままのペースで増え続けてしまうと、地球は破綻してしまうかもしれません。
「だったら子どもを持つなということ?子どもをたくさん産む人は、地球のことを考えていないということ?」
というわけでもありません。生き方は誰にも強制されるべきではありません。それに我が家も子どもが2人いますが、経済的・身体的余裕さえあれば、あと3人くらい欲しいところですから。子を持つということは人生でも最大級の喜びのひとつだと思いますし、それを手放す必要もないと考えています。
人間には、情動や記憶、自律神経を司る大脳辺縁系と、思考や意思決定をする大脳新皮質が備わっています。大脳辺縁系はいわゆる「無意識」で日常的に意識されることはありません。しかし、地球に命が生まれてから私という個人が発生するまで、長らくつなぎ続けられた「生き残るための本能」がその無意識に備えられていることは間違いないと考えます。それは私個人だけではなく、人間全体が共通してもっている不思議な感覚ともいえるでしょう。
そして、その本能のなかには、必ず「地球と共存する」ということが「重要な生き残りポイント」として刻み込まれているはずです。ウイルスだって、致死率が高いと宿主がすぐいなくなり、結局自分たちも生き残ることができなくなるといいますよね。この状況で人間をウイルスに例えるのはあまりいい感じではないですが、もしかしたら地球的には「1日の最後の3秒でへんなウイルスが増えてるっぽい」みたいな感覚かもしれませんよね。
「地球の一部」として、自然な流れで人口のバランスを整える。
そういう意味では、性別にとらわれない生き方をする人は、新しいステージに移行している人々なのかもしれません。
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うちの息子は、なぜか幼稚園時代からよく男友達に「僕と結婚しよう」と言われていました。そのたびに
「お友達に、結婚しようって言われちゃった。でも、男同士だからできないのにね」
という息子に対し、
「そうかな?キミが大人になるころには、それは普通かもしれないよ」
と返していました。
正直、孫が見れたらこの上ない幸せだとは思うのです。私はどちらかというと保守的で、古い考え方をする人間です。でも、「そうしろ、それが当たり前」という価値観を刷り込んではいけないなと感じます。
「普通」であること、「普通ってなんだろう」。
普通の生活、今までと変わらない当たり前。それだけで正しいという時代が早く終わりを告げて、さまざまな人がいることが当たり前、お互い様だねという世界がくれば、きっとみんな暮らしやすくなるんじゃないかな。
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