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全部、全部、愛でいい

人は、名前をつけて分類するのが好きだ。

性格とか性別とか職業とか国籍とか。

セクシュアリティもそう。

〈ゲイ〉とか〈レズ〉とか名前をつけるから異性間以外の恋愛が異質に感じるのではないか。

わたしは言ってしまえば、パンセクシャルで恋愛対象に男女の性差がない。男性だから好きになるとか、女性だけど好きになるとか、そういうこともない。まだないけれど、FtMやMtFの方を好きになるかもしれない。

だから、交際相手が男性であれば何事もないが、女性だった場合、わたしは周囲から見れば〈レズ〉に分類される。

今年の頭から夏頃まで、ある女性と交際していた。女性専用の出会い系アプリで知り合った3歳歳上の看護師だった。わたしと同じような疾患を抱えてもいた。

緊急事態宣言などで顔を合わせられたのは、数えるほどで、LINEか電話でのやりとりが主だったけれど、わたしは彼女をとても好きだった。もっと触れたかったし、体を寄せ合いたかった、と今でも少し思う。

別れた相手の写真はすぐに消すし、貰ったものは大抵捨ててしまうわたしが、彼女と撮ったプリクラだけは手元に残している。最後にデートへ出かけた日に持っていた文庫本にそれはまだ挟まっていて、本棚にしまってある。

昨日、『彼らが本気で編むときは』を観た。

さまざまな少し歪な愛の形が、いろんなところで重なり合って<友情>になったり<家族>になったりする。

そんな様を見て思ったのだ。

分類も名前も必要ない。

全部、全部、愛、でいい。

どんな名前がついていようとも、それも愛に変わりないのだから。

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