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人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださる。
私は中学生の頃、不登校だった。
中学1年生の9月からほとんど学校へは通っていない。2年半の間、適応指導教室というところでカウンセリングを受けながら、同じように不登校の子たちと過ごし、大勢の子の中へ戻る練習をしていた。
半年しか通えなかった中学校では、親友だった女の子と幼馴染の女の子と仲たがいしたのをきっかけにクラスや部活でいじめにあい、学校に行きたいのに、体が動かなくて行くことができない。そんな日々だった。
なんとか受験を終えて入学した高校でもやはりうまくいかないことばかり。
人とうまく関係を結び、距離を保つことができなかった。クラスにいるのがつらくなったり、女の子と話していると気分が悪くなることもあった。
高校在学中に手術をした影響もあったけれど、ストレスで精神的にバランスを崩して、何度も過呼吸や貧血で倒れては保健室に運ばれていた。
一時期は電車にも乗れなくなった。いっぱいいっぱいの状態の中で悩み、自分を責めていた。
そんな時、担任の先生が面談の機会を作ってくださった際に、私は中学生の頃のことを含めすべてを話してみた。
先生のおっしゃった「君の人生はこれからだ。辛いこと、苦しいことがたくさんあったけれど、君はいつも正しいことを選ぼうとしているよ。それは君の強みだ。」という言葉で自分の過去をようやく受け止められるようになった。
それまで私はずっと不登校だったということを引きずっていたのだと気づいた。
その言葉は、今でもわたしの中にあり、自分の中の正しさを確立するために、日々思索に耽るのだ。
旧約聖書詩篇 37編24節