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グループ活動で高野街道を歩く!!

こんにちは。ゆっくりシニア生活アドバイザーの花です。

今年4月からも大学の生涯学習センターのシニア・コースに継続して在籍し
ています。単に講座を受講するだけでなく、グループ活動にも参加していま
す。今回は、街歩きをするグループに参加した事についてお話します。事前
登録した有志が集まって、街歩きしているグループです。歩くだけではなく、歴史的な街や土地を歩く事を目的の一つとしています。9月の例会は「河内長野 高野街道を歩く」です。

約1200年前(816年)に、空海(弘法大師)が高野山を開き、街道ができま
した。高野山へ登る京都からの東高野街道、大阪から松原市を経て河内長野
市に出る中高野街道、堺市から狭山市を経て河内長野市に至る西高野街道、
四天王寺から南下して狭山市への下高野街道があり、4本の高野街道が河内
長野市で合流し高野街道として高野山へと続いています。西高野街道は平安
時代末から鎌倉時代初期に開かれ、室町時代には高野聖の納骨や庶民の参詣
の道となり、江戸時代には天下の台所といわれた大阪、堺の商人の米・酒・
綿などの通商の幹線街道としてにぎわい、全盛期をむかえました。今回は京
都と高野山を結ぶ街道の中間地に位置し。高野街道の要である河内長野市の
弘法大師ゆかりの高野街道を歩きました。

本コースには(1)健脚コース約10キロ、(2)ゆったりコース約4キロを歩
く、2つのコースが用意されており、私は10キロを歩くのは、自信がありま
せんでした。そのため(2)のゆったりコースに参加しました。(2)のゆっ
たりコースは13時30分に河内長野駅に集合し、(1)の健脚コースのグルー
プやボランティアガイドさんと合流します。コースは、長野神社⇒天野酒造
醸造所⇒烏帽子形神社⇒月輪寺⇒三日市宿⇒三日市駅。その後解散となりま
す。河内長野駅に集合した30名は4班に分かれて順次出発しました。D班に配
属された私は参加者8名と2人のボランティアガイドさんと出発しました。

今回のボランティアガイドさんは「かわちながの観光ボランティア倶楽部」
です。平成15年に市が「観光ボランティアガイド養成講座」を開講。平成16
年4月22日に倶楽部が設立されました。多様な研修を行いながら、多くの
方々に「河内長野」を紹介しています。現在は「天野山金剛寺」「延命寺」
「観心寺」「高野街道」「滝畑」の5地点を中心に活動しておられます。奈
良に負けない素晴らしい日本文化を外国の方にも喜んでもらっているとの事
です。

まず河内長野市駅付近は、静かな住宅地でまさに街歩きでした。街中の道路
上に高野街道を示すため道路が色分けされています。自治体が高野街道を想
定して道路を整備しているとの事です。観光地というよりも今も普通に市民
の方の生活の場です。江戸時代からの酒屋さんは今も酒造醸造所をされてい
て、外壁を残し風情ある街並みでした。

その後、烏帽子形神社(えぼしがたじんじゃ)へ向かいました。ここは烏帽
子形山の頂上に築かれた戦国時代の山城跡です。平坦な竹林の道を歩いてい
くと一気に100段を超える石段を登りました。山頂に登ると交通の要所であ
った高野街道を眼下に眺めることができました。自然の地形を生かした山城
で、畠山氏・織田信長・豊臣秀吉らの山城として利用されてきました。ガイ
ドさんによると街道をわざわざこの山城を通過するようにして通行税を取っ
ていたそうです。

河内長野市三日市町には高野街道沿いに「三日市宿」という宿場町がありま
した。江戸時代には多くの旅宿があり、その中でも「油屋」は本陣として使
われていて、今も保存されています。多くの宿泊客などで大変にぎわってい
たと想像される街並みです。その後三日市駅に到着して、最終地となり、人
数確認をして解散となりました。

総勢30人のシニア・コースの参加者がボランティアガイドさんとともに歩き
ました。まだまだ暑さが残る9月で、参加者のほとんどがパワー溢れる後期
高齢者(75歳以上)の方で、最終地点の駅まで全員が到着しました。最後は
本会をお世話して下さった方やボランティアガイドさん達に感謝を表し、そ
の後友達どうしで食事に行かれるなどそれぞれに解散となりました。私も次
回を楽しみに家路に着きました。

(参考)
河内長野市観光協会 https://kankou-kawachinagano.jp/index.cgi

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