地球外生命を探す旅
こんにちは。旅のアドバイザーのさくらです。
2020年2月に「宇宙の旅」というタイトルで、はやぶさ2号機について書きました。今回は生命探査の歴史についてのお話です。
私が子供の頃、宇宙人が登場する映画やテレビ番組がたくさん作られていました。「宇宙戦艦ヤマト」「エイリアン」「ET」など懐かしいです。この時代私たち普通の人にとって宇宙人(地球外生命)はSFの分野でした。
地球に人がいるのであれば金星や火星にも生命体がいるのではないかという考えから、まるでタコのような恰好をした火星人の絵や、アメリカにUFOが墜落しグレイと呼ばれる宇宙人が捕まったというロズウェル事件などが、テレビで取り上げられていました。
1610年ガリレオ・ガリレイは自ら制作した望遠鏡で木星を観察し、木星の周りに4つの衛星が回っているのを発見しています。この頃は天動説が常識だったのですが、大きな木星の周りを小さな衛星が回るのは理にかなっている。ならば地球の周りを大きな太陽が回るのはおかしいと考え、コペルニクスの地動説が正しいと主張しました。
1877年に火星が地球に大接近した時に、何人かの天文学者が望遠鏡で観察した火星表面の地図を描きました。当時の望遠鏡の解像度では表面がぼんやり見える程度で、想像もかなり入っていたようですが、火星には運河のような人工物があり、これは宇宙人が作ったものに違いないと火星人ブームが起こったようです。
私が最初に宇宙に興味を持ったのは1977年にNASAが惑星探査機「ボイジャー」1号と2号を打ち上げた頃です。ボイジャー計画は木星、土星、天王星、海王星に近づき、惑星表面の様子や衛星を観察・撮影し映像を地球に送ったあと、太陽系の外に飛び出すというものでした。将来宇宙人がボイジャーを見つけたときを想定して、各国語の挨拶の音声や地球上の映像を「ゴールデンレコード」に記録して搭載したことが話題になり、宇宙への夢が膨らんだのを覚えています。
ボイジャー計画よりも前の1960年代から、アメリカやソ連は火星や金星に向けて探査機を打ち上げており、1962年には金星の近くを、1964年には火星の近くを通過することに成功し、1969年アポロ11号の初の有人月面着陸へと繋がっています。
1976年には、NASAが打ち上げたバイキング2号に搭載されたランダーが火星着陸に成功し、火星表面の写真を送信しました。過去に水が流れたような跡が見つかり、火星にも水があった可能性が高まり、生命の痕跡を探しましたが見つけることはできませんでした。
東西冷戦の影響で、ロケット技術の開発や太陽系内の惑星探査に多くの予算を使うことができました。地球上から望遠鏡で見るだけでは分からなかったことが次々に分かり、また新たな謎と探求心を生むサイクルが働いていたと思います。
1990年代後半には、NASAが火星探査車「マーズ・ローバー」の着陸に成功し、太陽電池を電源に火星表面を自立駆動しながら写真を撮り、岩石に含まれる元素の検出結果を送ってきました。その後も何度か火星探査車を送って、火星にはかつて水が存在し、現在の地球のような環境があったことはほぼ間違いないと考えられています。ただ火星は地球の半分の直径しかないため、中心部が早く冷え、磁場が無くなったため太陽風にさらされ、大気や水が蒸発してしまった。地中を掘れば生命の痕跡が見つかるのではないかと考える科学者も多くいます。将来火星に人類が移住できる可能性を含め、探査が続けられています。
惑星とその衛星を詳しく調べる探査機も次々と接近に成功し、木星の衛星エウロパとガニメデからは水の成分が発見されました。土星探査機「カッシーニ」は土星の衛星エンケラドスに液体の水を含んだ内部海が存在し、宇宙空間に間欠泉のように水蒸気や氷を噴き出している写真の撮影と噴出物の分析に成功しています。火星人や金星人はいなくとも、木星や土星など大きな惑星を回る衛星に、生命が存在する可能性が出てきました。
学生のころ、「水・金・地・火・木・土・天・海・冥」と覚えた太陽系の惑星も、冥王星が凖惑星に変更されました。
東西冷戦もソ連崩壊で様相が変わり、現在宇宙探査に関しては、各国の科学者が国境を越えて協力することが一般的になっています。
宇宙が生まれて138億年、そのわずか一瞬である現在に、たまたま地球上に居合わせた人達が、目先の利益でお互いを傷つけあうニュースばかり流れると、星を見て、宇宙に目を向けてと言いたくなります。
■参考資料
・ナショナル ジオグラフィック日本版
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/
・ディスカバリーチャンネル(ケーブルテレビ)
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