旅路

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                    2020/03/13 第561号
        ☆★☆ TIPS通信 ☆★☆
     ▼消費生活アドバイザーの知恵が満載▼
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【旅路】

こんにちは。くらしいきいきアドバイザーの晴兵衛です。
この投稿が、リリースされる頃には、すこしでも終息の兆しが現れますように!・・・・

新しいコロナウィルスの出現によって、世界中が不安におののきマスコミ等は、連日連夜報道している。未知のウィルス!

このような報道に接すると、私は必ず思い出す事件がある。事件といってもそれは私個人的なのだが。
 私は、とある食品の一時販売停止という事態に遭遇し、消費者と向き合うこととなった。それは、今まで知られていなかった物質が分析技術の進歩によってその存在が明らかにされ、安全性が問われたからである。もちろん、人体に対する安全性は確認されている商品だ。

 消費者と向き合いながら、安全性について得々と説明し理解を求めた。しかし、受け入れてくれたのはごく一部の消費者で、ほとんどの消費者からはゼロリスクを求められ、受け入れてもらえなかった。いくら理性的、科学的説明をしても、えも言われぬ不安を払拭できなかったのだ。

この時、初めて「安全と安心」は別物だということを思い知った。

「食品の安全と安心」をテーマにした議論が巻き起こり、食品のリスクコミュニケーションがもてはやされた。食品の安全・安心でよく引き合いに出されるのは、こんにゃくゼリーとお餅だ。こんにゃくゼリーを喉につかえて不幸にも亡くなった人が出た。餅は毎年何人もの方が、喉につかえて亡くなっている。しかし、「餅は危険なものだ!販売してはいけない。食べてはいけない」とは言われない。一方のこんにゃくゼリーは、その時叩かれた。

食塩は、生命維持するための必須成分であるが、体重1キログラムあたり、0.5~1グラムが致死量と言われている。もっとも、その量は体重60kgの人であれば30gなので、現実的にはあり得ない量だが、消費者は毎日平気で食塩を摂取している。私も含めてだが、ほとんどの人は食塩が毒だと思っていない。

食塩は極端な例だが、こうしてみると消費者は食品のリスクをある程度許容しながら、一方ではゼロリスクを強く求めている。ここに人間らしい矛盾したコミュニケーションの壁がある。

ここで話を安全、安心に戻す。教科書には、安全は客観的、安心は主観的とある。つまり、心の状態を定義しているわけで、感覚的には理解できる。
しかし、どのようなプロセスへ経て安心という心の状態に至るのか?について、未だ私は明快な答えを持ち合わせていない。

餅は、文献によると奈良時代から食べられていたようで、摂食の歴史は非常に長いことから多少のリスクは許容されているようだ。食塩もしかり、つまり経験値の有無が安心に対して大きな影響力を持っているようだ。 
 古代から食されている野菜なども、含まれる成分と健康との関係が、すべて解明されているわけではないが、長い摂食の歴史がある。

 実は、コロナウィルス以上に猛威を振るっているのはインフルエンザだ。今シーズン、アメリカでは1万人以上がインフルエンザで亡くなっており、深刻な状況だがこの報道はほとんどされない。コロナウィルスよりはるかに危険のはずなのに、さほど不安におののいてマスクを買いあさる事態にもならない。薬もあるし予防接種もある、やはり経験によって、わかっているからなのか?

なんとなく整理してみると、
1.知識としてわかっている!
2.経験してきた!
3.自分が対処できる処方箋を持っている!
4.縋りつくものがある!
こういったことから、自分を納得させられれば安心につながるのかな?でしょうか。

安心とは何かを求める旅は、これからも続きます。


参考文献:正しいリスクの伝え方 小島正美著
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