春日講から考えること
こんにちは。おくすりアドバイザーの井田です。
地域での人の交流がややもすると疎遠になっていく昨今、「講」という小さな組織が地域に息づいて細々とですが今でも人の絆を保っています。古来「講」と名のつくものには「伊勢講」、「愛宕講」等の宗教的なものが中心ですが、この度はその信仰的な集団としての講についてその一端をご紹介し、これからの地域での人の繋がりについて考えてみたいと思います。
奈良には今でも多くの講が残っているのですが、東大寺・修二会(お水取り)を支える多くの講や、なら町の「庚申講」や今回ご紹介する「春日講」等それぞれの地に根付いた歴史ある講があり、まちの文化の一つにもなっています。
「春日講」という春日大社の神に繋がる講がなら町やその周辺の地域に今でも細々とですが続いており、定期的にそれぞれ講員によって厳粛に開催されています。読み方は「かすがこう」ではなく「しゅんにちこう」と呼びます。もともと春日大社は奈良時代より藤原氏の氏神で古くから天皇家、藤原氏のあつい信仰を集めて来ましたが、藤原氏の氏寺、興福寺と共に春日信仰を庶民にも広めるべくこの講が春日大社や興福寺の旧領地を中心に古くは鎌倉時代から徐々に形成されていったものと言われています。
私の住まいの地域にも春日講が古くより行われており、20軒前後が一つの単位となり、毎年当屋が中心となって開催されています。当屋になった家は畳は勿論、障子、襖等部屋の装いを一新して講員をお迎えし、床の間には春日曼荼羅を飾り、葉付き大根や尾頭付きの鯛等をお供えして、春日の神に豊作、家内安全等を祈ります。その後しばし直会で講員相互の親睦を深めます。それぞれ講員がその場を共有することにより、家同志のゆるやかな絆が保たれ、地域の平和で豊かな関係維持に少なからず繋がっているのはないかと思います。現在では講の開催は家の構造も大きく変わり、当屋の負担も大変なことから会所やホテル等で行うことも多くなりました。
大きな災害発生時等には、常に社会的インフラの重要性やその質が問題になりますが、多くは道路や河川管理、上下水道等のライフライン等のハードなものが取り上げられますが、どちらかと云うと人的なソフト面はあまり顧みられないように思います。社会が大きな危機に瀕した時、人の絆の豊富さやその質が立派な社会的インフラとして有機的に機能するものです。普段から重要な課題としてより社会が取り組んでいく必要があるのではと思います。
日本は古来大きな災害に幾度も苦しめられて来ましたが、その都度海外から驚嘆の目で見られるのが災害時の日本人の結束の素晴らしさです。このような景色に接するとき、日本人の心には知らず知らずのうちに、地域の絆を基礎に醸成されて来た講のような団結する精神が少なからず息づいているのではないかと感じます。
今日、SDGsが全世界的に取り組み目標になっていますが、17ある目標の中で11番目の目標として「住み続けられる街づくり」が挙げられています。
その様な中、地域に根付き長い歴史の中で培って来た「講」の文化には有益なヒントが多く隠されているように思われます。現在それぞれの地域では、自治会や公民館を中心とした活動により人の輪作りが図られていますが、講のような長い歴史をもつものではありません。今日、講は老齢化等でその存続が危ぶまれているケースも多々あるようですが、このような集団は一朝一夕には築くことは困難で、一旦消滅するとその再開は極めて困難です。SDGsの目標達成やサスティナブル社会の実現を改めて考えるとき、この日本独自の講の文化が再認識され、これからも長く続くことを願っています。