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正倉院宝物

こんにちは。おくすりアドバイザーの井田です。

今年も秋たけなわの奈良国立博物館で第76回の「正倉院展」が開催されま
した。戦後すぐの昭和21年に始まり、今では奈良の秋の風物詩にもなり海外
からも含め多くの訪問客を迎えました。全部で9千点ほどが収蔵されている
という正倉院宝物の中から毎年約50点ほどが選ばれ展示されます。正倉院宝
物は主に光明皇后により大仏に献納された聖武天皇の遺愛品や東大寺の法要
に関係する品々等で構成されており、天皇の管理による勅封や卓越した様々
な方法で奈良時代から今日まで厳重な管理の元大切に保管されて来ました。

これらの品々は古来より「正倉院宝物」と呼称され、用途別では書簡文書、
文房具、調度品、楽器類、服飾品、飲食器、仏教用具、武器武具等生活全般
にわたっておりその製作技法も木工、金工、漆工、陶芸、ガラス、染色等美
術工芸全般に及んでいます。それらの中には現代の技術をもってしても再現
が困難なほどの高度な技術が駆使されているものも多数あります。

今年は黄金瑠璃鈿背十二稜鏡(七宝細工の鏡)、新羅琴、沈香木画箱、紅牙
撥鏤尺、緑地彩絵箱(花文様の箱)等、天平時代の素晴らしい品々に触れる
ことができましたが、これら「正倉院宝物」は、文部科学大臣から「国宝」
や「重要文化財」といった指定を受けている対象にはなっていません。勿論
世界文化的価値からみて指定するに足らないということではなく反対に「超
国宝」的な価値のある素晴らしいものですが、正倉院宝物はあくまでも皇室
の私物(御物)ということから、第二次世界大戦以前から皇室関係品は国宝
等の対象外とする慣習によるものなのです。ただ校倉造としての建物だけは
1997年国宝に指定されています。これはユネスコによる東大寺を含む「古都
奈良の世界遺産」指定に際し、前提として国による保護政策がとられていな
ければならないという条件を満たすため、皇室の所有から離れ宮内庁から文
化庁にその管理が変更になったためです。

御物中には素晴らしい技術を駆使した美術品等に加え、光明皇后から寄進さ
れた当時の医薬品も含まれています。「東大寺献納長」の中の一巻「種々薬
種帳」には献納された60種類の医薬品名とその種類及び質量などが記載され
ています。巻末には「病に苦しんでいる人のために必要に応じて薬物を用い、服せば万病ことごとく除かれ、千苦すべてが救われ、夭折することが無いよう願う」といった願文が記載されています。薬の原料は植物の根から鉱物迄大変多岐にわたっており、袋には取り出された日付や量を示す記載があるものもあり、現在でも40種のくすりが保管されています。

正倉院宝物の特筆すべき点として、校倉造のような高床式の堅牢な建物の中
で1300年にもわたって大事に保管されてきたことがあります。世界的な古代
の遺品の殆どが地中や墳墓、乾燥環境にある砂漠等の自然状況により偶然保
存されて来たものであるということを考えると、初めから卓越した環境の元
で大事に保管されて来た正倉院御物の価値は世界的にもその類を見ることが
できません。

森鴎外は小説家、軍医として著名ですが晩年の最後の公職として三つの帝室
博物館(現東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館)を統括する
総長を務めました。奈良国立博物館の東側の一角には鴎外が奈良出張時に滞
在した官舎があったのですが、その跡に今でも門だけが残っており「鴎外の
門」と揮毫された石碑が設置されています。秋の約1ヶ月、奈良滞在中は正
倉院の曝涼や開閉封に立合い、宝物調査や修理の監督、博物館の指導等にあ
たりました。奈良滞在中に「奈良五十首」といった短歌集や日誌を残してい
るのですが、その短歌の一つに以下の一首があります。「夢の国 燃ゆべき
ものの 燃えぬ国 木の校倉の とはに立つ国」と1300年にもわたって奈良時
代の宝物を伝えてきた正倉院への感動と驚異をうたっています。まさに木造
の校倉造は1300年もの永い歴史の中で火災や他の災害にあっても不思議では
ないのに今日まで奇跡的にその建物とその収蔵品とが無事に保存されていま
す。奈良が先の戦災を逃れられたことは正倉院が生き残った大きな要因です
が、それにも増して先人の保管への智慧や努力に大いに敬意を表する次第です。

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