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近所でまかなえると嬉しい

何故かこないだから家電の話が続く。

中庭のエアコン掃除を依頼した。
近所のたい焼き屋さんのTwitterで「隣の電気屋さんにエアコン掃除をお願いしたら復活した!」というのを見かけて、うちもお願いしたのだ。
それから2-3日でエアコンを引き取りに来てくれて、その日のうちに掃除・再取り付けまでしてくれた。迅速な対応素晴らしい。
冷房復活。中庭も生き返った。

近所にそういうお店があると、生活はとても快適になる。

家の畳を変えた時も、地元の畳屋さんに電話したら30分後には引き取りに来てくれて、改装中は預かりOK。完成品の配達も連絡して20分くらいで持ってきてくれて、値段もホームセンターの半値程度。そのテキパキした段取りと良心的なサービスに感動したのだった。

自分が持っている軽トラで、友達の大きい荷物運びをちょっと手伝ったりするのも、近所に一つの快適さを生み出しているかもしれない。

おまけに電気屋の親子の会話の雰囲気や、畳屋のおじさんたちの息のあった動き、荷物を運んだお礼にもらったビールの美味しさは、それ自体が特別に魅力的で、面白みに満ちている。


近くにいるからこそパッと頼んだり手伝ったりすることができるし、リズム良く物事が進んでいくことで、気持ちよく暮らしていける。近所ならではの快適さ。それは「便利」ってことでもあるんだけど、何かもう少し重要な、大事な価値がそこにあるんじゃないか、とも思う。

今日もみんなに手伝ってもらって大きな物置きを一緒に運んだ。
別に手伝わなきゃいけない理由もないけど、平日の昼間、真夏の酷暑の中、大の大人が汗だくになって皆快く手伝ってくれた。ありがたい。
それはきっと、あとで思い出すと何だったんだかよく分からないけど、あの時確かに手伝ったな、水うまかったな、とか、それぞれの中で記憶になって、たまに思い起こされたりしていくのだと思う。

頼んだり頼まれたり、手伝ったり手伝わされたり。そういう小さな記憶が近所で積み重なっていくと、関係性も積み重なっていく。実際には頼まないとしても「いつでも頼める」とか、特別仲が良いわけじゃなくても「あの人があそこにいるのを知ってる」「自分のことを知ってくれている」とか、近所にそういう関係性が増えていくと、安心感があるというか、ちょっとだけ生きやすくなる気がするのだ。

もしかしたら狭過ぎたり広過ぎたりすると、近所が嫌になることもあるのかもしれないけど、今のところ北本団地やその周辺はちょうど良い感じでやれている。(気がする)

この先も、大きさよりも小ささ、早さよりも遅さを、なるべく大事にしながら色々やっていきたい。

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