「プロジェクト」の「記録」と「暮らし」
10数年前に北本市で行われていたアートプロジェクト「北本ビタミン」や、今は無きアートNPO「キタミン・ラボ舎」などを取材したドキュメンタリー映画が、中庭でテスト上映された。
自分も関わっていたし北本団地商店街でも色々な活動が行われていたので、取材されて色々話もした。だから、映画にも自分が出てきて話していた。変な感じ。
映画を撮っているYさんは「終わったアートプロジェクトのその後」に興味があり、北本のプロジェクトを見つけて取材を始めたという。だから10数年前の現場には居なかったし、全く関わりを持っていなかった。
自分の関わっていない過去の出来事について取材するのはどんな気持ちなのだろう、でも取材ってそういうことの方が多いのか。
終わったことについて、あの頃どうだったんですか?と聞かれること自体が初めてかもしれない新鮮な経験だったが、それだけ時間が経っていて、自分も歳をとったということなのだろう。
当時関わっていた事務局の人たちはそれぞれの事情で今はもうほとんど北本にいない。「アートプロジェクト」(アートに限らないか)と言った瞬間に始まりがあって終わりがある、ものなのだろうか?まあ、それで良い気もするし、それって何なんだろうという気もする。
自分も含め、そこに暮らしていた/暮らしている人にとっては始まりも終わりもなく、その前にも後にもずっと「暮らし」が続いている。続いているからこそ見えなくなってしまうものもあるけど、続いている中でしか見えてこないものもある。
プロジェクトが終わって以来全然会っていない人たちも登場し、それぞれが過去を思い返しながら語っていた。
あの頃プロジェクトに関わっていた他者が何を考えていたのか、どう見ていたのか、今の位置からそれを振り返ってどう話すのか。
自分が質問したわけじゃないのに、その応えが映画で見られるという、不思議な体験だった。聞かれて応える、思い出して語る、それが形になることで過去が過去として定着されていくような効果もあるのかもしれない。
良いとか悪いとかの感情もあまり起こらず、あの頃はああだった。という、ある種俯瞰的な感覚で遠い記憶を見ているようだった。
これが映画なのか、という体感。面白かった。
映画の後も現在に至るまでずっと続いている「暮らし」の中では、様々な「プロジェクト」が始まったり終わったり、日々更新され続けている。
この映画の取材をするために北本に通うYさんと拠点のスタジオを作る改装をした時もアートプロジェクトみたいだなと思ったし、当時お世話になったおじさんの家に遊びに行けば今も変わらず快く迎えてくれる。新しく北本に引っ越してきた人のおかげで、ずっと住んでいたのに知らなかった人の顔が見えるようになったりもする。螺旋のように繰り返される「暮らし」の時間軸では、始まりも終わりもなく、ただゆっくり輪が拡がって繋がっていく。
「プロジェクト」が終わっても関係性は消えないから、いつでも「暮らし」の中で再会できる可能性がある。やりたければいつでもそこから始められるし、やっていれば出会えていなかったことに出会う可能性がある。
北本団地商店街も出来て50年以上。「暮らし」でもあるし「プロジェクト」としても捉えられる。短期的な関わりと長期的な関わり。作為と不作為。いろんなことを考えながら、まだ暫くやっていくと思う。