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私がふるさとの山奥に移住した理由①

2014年(この記事を書いた時点から11年前)35歳の時に、17年暮らした東京を離れて自身の出身地である静岡県浜松市の山間部にUターンすることになってから、私の人生の流れは大きく変わりました。
大学進学と共に上京し、20代までは東京でずっと暮らすことを信じて疑わなかった私が、30代になったころから自然や土のある暮らしを求めるようになり、そこから自分の原点となった浜松の山間部に住む祖父母の暮らしに立ち返るようになっていったのには、幼少期の原体験や大人になってからのいくつかのターニングポイントがありました。それが今の自分が辿ることになった道にどう繋がっているのか、改めてこれまでの流れを振り返りつつ、紐解いてみたいと思います。


①山奥に住む祖父母宅での原体験  ◀今ココ

父方の祖父母の家のある浜松市天竜区熊は、浜松市の中心部からは車で1時間半ほどの場所にある山村です。「熊」という珍しい地名で、通称「くんま」と呼ばれています。くんまの中心部からさらに4km上り、標高600Mほどの場所に祖父母宅のある集落があります。テレビで見るようなポツンと一軒家、まさにそんな環境です。山々を遠くに臨み、手前には茶畑が拡がる。そんな景色の場所です。


父は長男で、長男の第一子だった私は初孫だったため、私は母が出産後、病院からそのままご近所さまへの初孫披露のため(?)くんまのお家へ直行だったそうです。だからきっと私がこの世に生まれて一番初めに見た世界は、当時の両親が住んでいたまちのアパートではなく、くんまのお山の家だったのだと思います。

妹と弟が生まれると、私は長い休みの期間はほぼ一人でくんまに預けられて過ごします。自宅から1時間、くねくねの山道に揺られて毎回車酔いに苦しみながらも、祖父母のことが大好きで(お山のじいじ・ばあばと呼んでいました)お山の環境が好きというよりは、優しい祖父母に会えることが何よりの楽しみでした。

夏休みはじいじの作ったトマトを湧水で冷やしておやつに丸かじり。蝶々やバッタを追いかけたり、他にはいったい何をして一日過ごしていたのか今では記憶が定かではないのですが・・・。

昼間はじいじは山の仕事(木こりをしていました)、ばあばは道の駅の手伝いやお勝手仕事などで忙しく、私とつきっきりで遊ぶなんてことはあまりなかったと思うので、ひとりで遊ぶか数少ない近所の子と遊ぶか・・・きっとそんな毎日でした。

子どもの頃のうっすらとした記憶の中でも、春に山菜取りをしたり、お茶摘みをしたり、栗を拾ったり・・・それを楽しいと思っていたかどうかは別にして、そういった原体験が私の中に積み重なっていたのは間違いなく、折に触れてその場面がふと思い出されることがたびたびありました。

時を経て大人になってから田舎の暮らしを求めるようになるなんてとても不思議ですが・・・そういった経験をしていることの記憶がいつの日か引き金になることが来るんだなぁと、今人生の答え合わせをしているような感覚です。

②消費中心の東京暮らしへの疑問 

これから随時更新

③"地域の仕事”との出会い

これから随時更新


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