慶應大学講義『都市型ポップス概論』13 【音楽プロデュースとは2〜プロデュースとプロモーション、そのいくつかの具体例に沿って〜】(こたにな々)
●文学部 久保田万太郎記念講座【現代芸術 Ⅰ】
『都市型ポップス概論』 第十三回目
----------------2018.07.13 慶應義塾大学 三田キャンパス
講師:藤井丈司 (音楽プロデューサー) ・ 牧村憲一 (音楽プロデューサー)
−プロモーションとは、 プロ+モーション
牧村先生にプロモーションのやり方を教えたのは、CBSソニー堤氏(慶應大出身、加山雄三とランチャーズのメンバー)だった。
先週紹介の【プロデュースを▲で考え、プロモーションを●で考える】術の入り口となった。
60年代後半に若者文化の担い手になったのがラジオの深夜放送(AM)だった
深夜帯はスポンサーが付きにくいとされていた。しかしリスナー層を特化させる事によって新しい媒体となった。その時間帯のリスナー・高校生・受験生の若者たちに目を向けたスポンサーが生まれた。プロモーション側も、その帯をどうやって攻略するかという事に知恵とエネルギーを使い始めた。
(▲の例):深夜放送での楽曲オンエアー、次段階としてお昼のラジオへ、さらにTVにも進出を企てるという意味。
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70年代半ばになると深夜放送(AM)からFMへ。深夜放送への狙いが年齢層であったとすれば、FMは中都市や大都市に暮らす幅広い層をターゲットに出来るものだった。
(▲の例):FM層からさらにTV視聴者へ。
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現在はTVという巨大媒体、加えてネットがある。ラジオの存在意義とは。
(▲の例):どういう人達に届けたいかを考える。その人達の “ライフスタイル” を想像する。その人達に届く媒体と時間帯に発信するなど。
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1979年のヒット曲を例に―
YMOはヒット曲『TECHNOPOLIS』を作る際に、踊れるヒット曲はどういうコード進行か構成であるかを解析した上で作った。
その中のヒット曲のひとつで、ピンク・レディーの『ウォンテッド』を研究したと伝えられている。
参照リンク:https://www.youtube.com/watch?v=UPr77bv8008
サビの「ウォンテッド!」という声が『TECHNOPOLIS』の「Tokyo!(トキオ)」という声になる事や、簡単なコード進行を奇麗に聴こえる努力などを参考にしたのではないか。作曲者の都倉俊一のヨーロピアンなものを歌謡曲に落とし込んでいく部分を坂本龍一は参考にしたのではないか。
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牧村憲一先生のプロデュース楽曲①
●竹内まりや「不思議なピーチパイ」
参照リンク:https://www.youtube.com/watch?v=MYkxyqRshYA
安井かずみが作詞した冒頭の歌詞「思いがけない Good timing」というのは1960年代に坂本九が洋楽曲をカバーし大ヒットさせた『Good timin'』「現れた人は Good looking」という歌詞はジャニーズ以前のアイドルグループだったスリーファンキーズがカバーした『ヘイ・グッド・ルッキン』との相似性がある。「Wow wow wow」という歌詞は、50年代から60年代のポップスに見られる、そうしたポップスの要素を意識的に入れていたと思う
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1980年代はTV全盛期だった―
これまでのヒット曲の共通点はCM楽曲。
小さなプロモーションの積み重ねではなく、TVから流れてくる・耳なじみになるという効果がプロモーションとして大きな力を持っていた。
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牧村憲一先生のプロデュース楽曲②
忌野清志郎+坂本龍一『い・け・な・い ルージュマジック』
坂本龍一と忌野清志郎は、なぜ一緒にする事になったのか?
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まずYMOは...
音楽プロデューサー兼アルファ代表の村井邦彦が、小坂忠、ユーミンの仕事に留めず、細野晴臣プロデュース作品のリリースを望んだことから始まった
1979年5月にアメリカのA&Mレコード傘下のホライゾン・レコードから『イエロー・マジック・オーケストラ(米国盤)』をリリース。その後、ロサンゼルスのグリーク・シアターで海外公演を行うなど、海外向けアーティストとしての流れが出来ていた同年2ndアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』が大ヒット。約一年でトップアーティストへと上り詰める。
国内への逆輸入人気もあり、1年に2枚程リリースする契約の中、4thアルバムでは曲数が足りなかった為、スネークマンショーのコントを含む『増殖』をリリース。ヒットと多忙を極めるメンバーそれぞれが大きなプレッシャーを抱え始めた中で実験的なサウンドの5thアルバム『BGM』をリリース。
●YMO『Cue』
参照リンク:https://www.youtube.com/watch?v=zbVq91OJC3I
ファンの間で人気のあるこの楽曲には坂本龍一がほとんど参加していない。マルチトラックの使用や細野晴臣と坂本龍一の意見の相違により、この時期YMOは揃ってレコーディングをしなくなった。
その頃、牧村先生は坂本龍一から聞いていたのが「個人としての活動もしたい」という事だった。坂本龍一は大島渚からの映画出演のオファーを受け、逆に映画音楽の制作を出演の見返りとして提案した。
●坂本龍一『戦場のメリークリスマス』
参照リンク:https://www.youtube.com/watch?v=T1cQBP0Vzx8
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牧村先生の元に資生堂から口紅のキャンペーンCMの依頼が来る―。
化粧する男性の起用、RCサクセションの忌野清志郎とYMOの坂本龍一で提案。実現までは数々の難関があったがやっと成立。しかし企画が先行してしまったこともあり、いざ制作に入ると「何をやったらいいのか分からない」という応え。牧村先生が「T.REX」、グラムロックと提案。
●T.REX『Metal Guru』
参照リンク(音声のみ):https://www.youtube.com/watch?v=MQr9WbBfoD8
●忌野清志郎+坂本龍一『い・け・な・いルージュマジック』
参照リンク:https://www.youtube.com/watch?v=xI3KzokVVUY
ヒット曲を作るにはCMの世界ではイントロ勝負で、この楽曲はイントロにとても苦労した。最初は「u〜いけない〜」だったが掴みにパンチが無いと言う事で「Baby Oh Baby いけない」となった。
資生堂という当時CM業界のトップクラスの中で流れる。
コピーライターは仲畑貴志が担当。カメラマンは十文字美信。フィルムディレクターに川崎徹。スタイリストやデザインもトップクラスが担当。
時代の広告界のトップクラスの才能が集まった。
『い・け・な・いルージュマジック』は1週間で40万枚を記録。80年代は一番元気のある音楽業界に才能が集まった。
日本中の最高の芸術家と広告業界の才能を集めたセッションだった―。
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次は春期最終講義です。次回へ!!
https://note.mu/kurashi_no_nana/n/nf55c611f0fa8
お読み下さってありがとうございました!
本文章は牧村さん及び藤井さんの許可と添削を経て掲載させて頂いています
文:こたにな々 (ライター) 兵庫県出身・東京都在住 https://twitter.com/HiPlease7
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