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洗濯は週末の約束
掃除は、モノの片付けをしたり、掃除機で床掃除をしたりと最後まで動き続ける。そして、動き続けることで部屋の変容を認識し、終わりまでを見届ける。
あるべき住所に物が帰り、不要なホコリやゴミくずは消えてなくなる。窓を開けて空気の入れ替えをすると、まるで森の中みたいに部屋の空気が澄んで、ここはまるで軽井沢。や、戸隠か。穂高や白馬かもしれない。ともかく片付けと掃除はクリエイティブ。
洗濯はどうだろう。
洗濯機ボタンをピッと押した瞬間はやる気に満ち溢れているのに、洗濯完了アラームが鳴るころにはすっかり洗濯のことなんぞ忘れている。やる気があったのは遠い季節の話し。
洗濯から脱水までの工程をじーっと見守るのは非効率的だし、洗濯が完了するまでの30~40分の間に掃除をするという見通しを持って時間を有効に使ったとしても、それでもやっぱり洗濯機が止まった時にはやる気は無くなっている。しかも、干した後も乾くまで待たなければならない。長い。長すぎる。始まって終わるまでのスパンが長すぎる。衝動性が高く、堪え性の無い僕にとってはこの上なく相性が悪く億劫な家事だ。
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30代。洗濯が苦手な僕が取った手段は「下着を大量に買う」だった。大量にストックしておけば、毎日取り換えたいと思っている下着を洗濯せずとも困らない(ちなみに靴下も大量にあった)。無印の衣装ケースは下着でパンパンだった。懐かしい。今はもう1週間分くらいの数しか持っていない。だから洗濯しないといけない。嗚呼、やれやれ。
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ぼんやりした話しをするけど、洗濯は少し先の約束と似ている。
約束を交わした瞬間はわくわくしているけど、次第にそのわくわくは薄れ、約束は一旦遠い季節の記憶のように見えなくなる。約束の前日、スマホのアラートを目にすると「ああ、そんなこともあったな」って、心はやや曇天。あの時はあんなにもやる気だったのに。あの時の熱量を呼び覚ますのに「えいやー!」とエンジンをかけなければならない。約束を果たすと、ああ、約束してよかったなって毎度思うのだけど、行くまでの気持ちの立て直しにすごく苦労する。気持ちを立て直す苦労をするくらいなら、当日、直前に誘ってもらった方がどれだけ気楽だろうか。
あ、そうそう、料理はクリエイティブで好き。
でもぐつぐつと何時間も煮込む料理は、少し先の約束みたいで苦手。
まるで持久力がない。