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寂しくない?の主訴

僕はひとり暮らしをしている。結婚はしていない。
その状態が寂しくないのかと聞かれたりするけど、寂しくない。むしろ望んで『ひとり』だ(誰かと共に暮らす才能が無いので)。

ひとりを望めているのは、色んなカタチで社会参加して多くの人と関わりを持っているからだと思ってる。仕事をせず、組織に属さず、友達もおらず、家族や親戚もいない状態では「ひとりがいいなぁ」とは思えない。誰かとの関わりが担保されているからこそ孤独を求める。本当の孤独ではないから。
(ご飯やお茶、旅行に付き合ってくれる友達、親族、仲良くしてくれる同僚の存在に感謝っっ)。

だから、共に暮らす相手が居るか居ないかによって孤独かどうかは決まらない。誰かが近くに居ても寂しさを感じてしまう人だっているしね。

ひとり旅でよくいく京都の写真。鴨川沿いにて。


ひとりであることは寂しくはないけど、不安はある。高熱やギックリ腰で起き上がることができなかった時、このまま命絶えたらどうしようと不安でいっぱいだったことを思い出す(大袈裟?)。

だから、きっと、僕に「寂しくないのか?」と聞いてくるその言葉の裏側には「不安じゃないのか?」が多分に含まれているのかもしれない。つまり『ひとりは寂しい』と思ってる人は、寂しいというより『ひとりは不安』なのかもしれない。

僕だってそりゃ不安はある。
それでもやっぱりひとりで暮らしたい。
ひとりの心地よさが不安より勝るから。

不安から逃れるために誰かと暮らす。
そういう人生の選択をする人って、案外いっぱいいるんだろうな。

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