志村はいつも前にいる

42歳の僕にとって、志村けんさんはリアルタイムで長年僕らを楽しませてくれた日本のお笑い界にとっての大功労者だ。

物心ついた時には「8時だョ!全員集合」が放送されていた。

当時は完全に「ひょうきん族」派と「全員集合」派に分かれており、ほとんどの子どもたちは「全員集合」派であり、大人になるにつれて楽屋オチや下ネタの多い「ひょうきん族」に移行してゆくというのが定番で、例にならって僕もまんまとそのルートで土曜日の夜を待ちわびていた。

「8時だョ!全員集合」は今では珍しい公開収録型のコント番組で、僕らの世代ではあまり知らないクレージーキャッツからバトンを渡されて大人気となったザ・ドリフターズの大出世番組である。

志村は最初からドリフターズの一員ではなかった。

新井注に代わって加入した志村が「東村山音頭」で大ブレイクしたのが1976年。

ということは1978年生まれの僕が生まれた時にはすでにスターだったことになる。

加トちゃんと志村のダブルエース体制となったドリフターズは、僕らの毎週の楽しみで、ヒゲダンスやいかりやさんの「オイッス!」、志村の「志村ー!うしろー!」、当時のアイドル達との合唱コントなど作り込まれたコントと大掛かりなセットで魅せる素晴らしい番組だった。オンエア直前に会場が停電となり、番組冒頭から真っ暗の中で始まり、ようやく電気が点いてからのいかりやさんの「8時9分半だよ!全員集合」も生で観ていた僕にとっては思い出深い番組だ。

「全員集合」が終わってすぐ、ドリフターズのダブルエースの二人が「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」を始めた。もちろんこれも欠かさず観ていた。「カトケン」の名でさらなる人気者となった2人の番組は、全員集合とは違いちょっとおしゃれな雰囲気でドラマ仕立てのコントや、たしか今では普通になった視聴者投稿のおもしろビデオコーナーを世界で初めてやった番組としても知られている。当時ファミコンの次に流行っていたPCエンジンというゲーム機のゲームにもなり、それももちろんやったものだ。

その後に始まったのは「志村けんのだいじょうぶだぁ」。ついに満を持して冠番組を持った志村はこの番組でマーシー・クワマンを率いてコント三昧の番組をおっぱじめる。もちろん毎週観てた。なんならレギュラーの松本典子のファンだった。高校生になってから渡辺美奈代の写真集も買った。エロい志村の好きな女の子はたしかにエロかったのだ。

「変なおじさん」や「ひとみばあさん」「ルーレットマン」のコーナーも好きだったが、この番組で毎回ある志村と石野陽子の夫婦コントは本当に最高だ。芸術といっても良い二人のコンビネーションはぜひ観て欲しい。仲直りの歌?なんて空で今でも言える。

他にも「バカ殿」は民放の早い時間におっぱいがたくさん観れて子ども心に興奮したし、浜ちゃんと仲良くしているのを見て世代を超えたレジェンドの融合にワクワクしたものだ。一時期「アイーン」がやたら流行った時も志村好きの僕としては、若者に志村がアイーンだけのように扱われるのが悔しくてならなかった。お前らは志村の面白さをこれっぽっちもわかっちゃいない、と。

年々ハゲてきた志村がある時から後ろで髪を縛り始め、とんでもない髪型なのにあまりに面白いからそれさえもカッコよく見えてきて真似したりしていた。志村はハゲ界とエロ界のヒーローだ。

志村はいつだってスケベで面白いんだ。

僕の笑いの根源的なところの大部分を作ったのが志村だ。

志村はずっと僕たちの前にいて、僕たちは夢中で「志村、うしろー!」と志村を追いかけていた。

僕はまだまだ志村で笑いたい。

なんとか回復してほしい。

こんな形で志村がいなくなるなんて考えられない。

ケロッと「あんだって?」って言うに決まってる。

志村は何事も無かったかのように「だいじょうぶだぁ」って言うんだ。


志村ー!うしろー!みんな待ってるぞー!

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