コントロード 第四十八話「舞台を降りて流した涙~内村さん舞台お手伝い①~」
※多分このシリーズだいぶ続く……いよいよ終盤な気がする……
僕らツィンテルは、芸人の中では器用な方だった。
器用、というのは、お笑いの中での話ではなく、役者を10年やってきてからお笑いの世界に入った僕らは他の芸人と比べてお笑い以外で出来ることが多いという意味だ。
コントの台本も一応書けるようになったし、学校の勉強も二人ともできる方、パソコンなどの扱いも得意だし、お芝居もできる、舞台周りのこともわかっているので舞台のバラシや仕込みもできる方だ。
肝心のトークやギャグは苦手だが、一般常識的な部分や舞台関連のことにかけては使い勝手の良い芸人だったと言える。良いか悪いかで言ったらこの時代では良いことではなかったのかもしれないが。
だから事務所でも、演劇的な要素のあるお仕事はツィンテルに振っておけば問題ない、という信頼のもと、舞台関連の仕事はよく入ってきた。
2014年冬。
内村さん主演でとある舞台公演が行われることになった。
「ボクの妻と結婚してください。」という、大作家の樋口卓治さんの小説を舞台化したもので、演出は「ごっつええ感じ」「笑う犬の冒険」「SMAP×SMAP」「一人ごっつ」など名だたる番組をやってきた伝説のテレビマン・小松純也さん。
知っている人からしたら今思えばとんでもない作・演出陣である。
出演は主役に内村光良さん、奥さん役に木村多江さん。他にも眞島秀和さんや久ヶ沢徹さんなどに加え東京03の飯塚さんやマセキの与座よしあき先輩など。
そんな一流のキャスト・スタッフ陣の舞台に、アンサンブルとして僕らツィンテルも参加することになった。
アンサンブルというのは、その他大勢役として人数が必要なシーンに出てくるお仕事だが、事務所のトップである内村さんが主役を務めるこの舞台では他にも様々なお手伝いをして協力することが仕事だった。
僕らの他にマセキ芸能社からアンサンブルとして入っていたのは、あきげん元気さん、青春ダーツ青木さん、しゃもじの二人、ハンカチーフ浦部の7人態勢だった。
僕ら以外にも、若手女優さんや若手モデル、制作を担当していたスラッシュパイルの若手芸人数組が入っていて、結構な大所帯である。
稽古場は東京の湾岸にあって、どこから行くにもかなり遠かった。交通費もバカにならないが、マセキ芸能社には交通費をもらえるシステムがある。この時は本当に交通費システムが有り難かった。駅からも寒空の中10分以上歩くし、ここから1ヶ月強、この舞台稽古にかなりの時間と労力がかかることが想像された。
昭和の時代の芸人というのは、演劇と演芸の境がそれほどなかったこともあって、芝居心というものがある人が多い。お世話になったリーダーこと渡辺正行さんも劇団出身だし、落語からお笑いの世界にやってきた諸先輩方もたくさんいる。東京乾電池の名優、柄本明さんが志村けんさんとコントをやっていたりするのも有名だし、以前登場した田口浩正さんや吹越満さんだって笑いをやっていたがそれは確固たる演技力の上でやっていたわけだ。
それに比べて平成の時代の芸人というのはすでにお笑いとお芝居というものが乖離された状況だったので芝居というものに理解の無い芸人も多い。よく演劇の話をすると「なんでお芝居ってあんなに何回も同じことを稽古するの? 辛くないの?」と言われたものだ。
そこへ行くと僕らはどちらかと言えば昭和の芸人の流れでお笑いの世界に入ってきた異端児だった。稽古を繰り返す、出番の無い時はただただ稽古を見ている、セリフを忘れた役者さんにプロンプ(セリフをこっそり言って教えること)を入れるタイミング、稽古の上でやるべきことは長年の役者生活ですっかり身についていた。
加えて、この「コントロード」を初めから読んでいる人ならおわかりの通り、僕は演技には絶大な謎の自信を持っていた。
だから僕たちは、いや、僕は、自信をもって稽古に参加したし、自分がやれることはやろうとは思っていた。
ただ、この大きな舞台の現場のお手伝いで、僕の芝居熱があんなにも再燃することになるとはこの時まだ、自分でも思いもしなかったのだ。
(第四十九話につづく)
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