2020年の日々・再び感染者増加
6月29日
ほうかごシアター・オンライン『はだかの王さま、耳はロバ』、おかげさまで好評をいただいております。ありがとうございます。一発撮りというのに驚かれた方も多いようですが、生演奏ですので編集すると変になっちゃうので、最初から最後まで一気に撮りました。カメラ3台を固定で撮影というのが効果的でしたね。画角への出入りやズームイン/アウトを俳優の意識下で行うことで、「見られている」ではなく「見せている」という主体性が強められたと思います。カメラマンがいて俳優を追いかけてパンしたりズームしたりすると、だいぶ違った印象になっただろうなあと思います。そのあたりを想像しながら見ていただけると、また違った楽しみ方ができると思いますよ!
そして、先週から「アートにエールを」に向けての動画製作も開始しました。こちらはガラッと雰囲気を変えて、江戸川乱歩原作作品を創っています。稽古はiPhone複数台をZOOMでつなぎ、画面と音声を確認しながら行っています。今日から美術、照明を仕込んで1週間かけて創ります。
4月5月に「演劇の映像化」について考察したことを元に、一つ一つタイプの異なる動画製作を試みている感じですね。
7月4日
たちかわ創造舎が動き出して、一気に毎日なんか書いたり創ったりのクリエーションの日々に戻った。同時に大学の授業を対面でもオンラインでもするし、コミュニケーション能力向上事業のコーディネートもするし、法人経営もする。これは、あれだな、一つのことだけに集中してれば俺は相当仕事ができる奴になれたのにって、毎度人生を後悔しちゃうやつだな(笑)。いくつも収入口を持ってないと家族を扶養できなかったからしょうがないんだけどさ、体力的にどこまでマルチでやれるのか、不安にはなるね。もういっそ誰かまるっとヘッドハンティングしてくんねえかな。あと10年ぐらいはいい仕事すると思うんだけどなー。
7月5日
投票完了。僕にとって投票はいつの頃からか、政治家個人の支持を表明する行為ではなく、政治権力の監視を表明する行為になった。政治家は市民を視察し、市民は政治権力を監視する。まずはお互いのことを見ないとね。無視せず、直視する。まっすぐ見られると襟を正してくれるもんだよ、たいていの人は。そういう人を選挙外の期間も支持するし、協働したい。
7月6日
何があっても社会と積極的に関わることを「めんどくさい」「関係無い」と一蹴する人達が半分いるってこと。これは選挙だけじゃなく、この社会の全ての局面に言える。それは誰が当選したかの結果よりヘビーな結果。なぜなら市民の半分の人が社会を主体的に運営していくことを放棄しているから。で、その半分の人をもういっそ無関係だと思って生きていく?向こうは関係無いと思ってるだろうね。でも、隣人なんだよ。ご近所さんなんだ。同じ街に住んでるんだよ。さて、どう関係していこうか。どういう言葉で付き合っていこうか。それを考えることもまた社会と関わるってこと。毎度、投票率の低さのたびに自分に言い聞かせるように言うけど、心折れてる場合じゃないぜ。立って動け。言葉を紡げ。
7月10日
「完全な補償をできないから社会活動は自主性に任せる」「公衆衛生で完全に予防できないから自衛に任せる」っていうのは、正直、俺は受け入れる。「完全」はそりゃ自然の脅威の前には無理だろうよ。「完全」じゃないにしろ「できる限り」やろうとしている人たちがいるのも認めている。だから、わかったよ、「社会活動」と「予防」の両立は自分でがんばるよ。その代わり、「徹底的に検査する」と「徹底的に治療する」体制を確立して、広く発信してくれねえかな。「社会活動と予防」の両立のための努力を、「検査と治療」への信頼でバックアップしてくれよ。その体制を急ぎ作ってくれると思ったから、二ヶ月、社会活動を自粛して予防に徹したんだぜ。
それとも二ヶ月じゃあ、足りなかったというのかい。なら、ちゃんとそう言ってくれ。それに合わせて、自分で「社会活動」と「予防」を調整するから。責任負わせたいなら、正確な情報と状況証拠をよこせ。そして、「予防」も「検査」も「治療」もできる限りやってるが不足しているという自覚があるのなら、「罹患者を責めないキャンペーン」を積極的に展開してくれ。こっちに責任を丸投げしたんだから、せめて自責の念から救ってやろうとしてくれないか。
7月13日
成熟とロマンは両立するか。
加齢とともに人は成熟していく。
成熟すると若い頃になおざりにしていたものを大事にするようになる。
若い頃は、お金より大事なものがたくさんあり、
自分の健康を犠牲にしてでもやりたいことがあり、
人間関係より優先したい己があり、
安穏とした生活はただ退屈なだけだった。
いまだ、お金や健康や人間関係や生活に固執するほどまでにはなってないが、それが大事で人生において守るべきものだということは実感し、実践もしている。しかし、それを徹底できてはいない。徹底できないのは未成熟さが残っているからだ。未成熟さの正体は「人生にロマンを求めてしまうこと」。まさにドン・キホーテ。
加齢からくるエネルギーの低下は著しいし、
走るのをやめたいと何度も思うのに、
立たなきゃ、歩かなきゃ、と思ってしまうのなぜか。
この先、大逆転が起きるはずもないことに気づいているのに、
なぜ明日またがんばろうと自分や仲間を鼓舞してしまうのか。
苦笑いするしかないんだが、人生にロマンを求めているからだ。自分が思っていた以上に世界って広いんだな、人間って悪いもんじゃないんだな、と世界と人間の不思議=ワンダーに触れたいと思っているからだ。それはロマンのかけらを集めていくRPGのようなもので、そのかけらが遠くさまざまなところで光ってる。だから、探し続けることをやめられない。
これは、おそらく少年の頃に読んだ本とマンガと父の教えからかけられた呪い。映画やアニメ、演劇によっても補強された。
その呪いは解かれるべきかどうか。
成熟を妨げる呪いは一方で冒険やスリルを鼓舞する激励でもある。
成熟社会において、ロマンは賛否分かれる、ましてやロマンチストの存在は。
そしてcovid-19は、ロマンのかけらの探し方を変えろと突き付けてくる。
成熟とロマンの両立はできるのだろうか。
7月16日
条件が変われば対応を変えればいい。決定なんて常に仮定に過ぎず、物事は終わるまで何が起こるかわからない。保護された環境で仕事したい人はフリーランスは辞めた方がいい。振り回されてなんぼがフリーランスの矜恃。もちろん不法や不当なことには抗議するし、ためらいなく放棄するけど、大概のことには対応してみせるという覚悟と技能があるから、25年以上、フリーランスで飯が食えているのです。
7月19日
リーダーは勝敗の責任を取るのが仕事だから、戦力の見極めは当然シビアになる。シビアじゃなければ負け率がある。負け率が上がれば全員が生き残れない。生き残ろうとすることは苦しい。その苦しさをともに分かち合える人を選抜してチームを組む。そうすると、苦しさの中に楽しさをともに見出すことができる。
人にはそれぞれ自分の技能に合った戦いの場がある。しかし、自分に何が合ってるかは、子どもの頃は周囲がいろいろ察してくれるが、大人になれば他人は教えてくれない。気を遣って、オブラートに包む。だから、自分と周囲を観察して、自分の技能を自分でシビアに査定するしかない。自分への幻想を捨てることができるのは自分だけだ。幻想を捨てることは辛い。その辛さを乗り越えた者同士だけが持てる思いやりがある。
そうしたシビアさに耐えられる人材かどうかは、時間をかけて見極める必要がある。誰でもやる前はやる気をアピールすることぐらいはできるからだ。やる気のアピールと技能の優秀さは比例しない。もちろんアピールした方が目に止まるが、その分、シビアに査定される。やる気によって、そのシビアさが軽減されることはない。
なんの分野でもそうだが、入門(入学、入社、入団)にはやる気が大事、だが結果を出すにはシビアさが必要だ。そのシビアさに耐えられるかどうかが、入門後に試される。そして、シビアさを乗り越えた先に、プロフェッショナルなチームとしての喜びがある。その喜びは簡単には手に入らない。
7月20日
ほうかごシアター・オンライン『泣いた赤鬼』のための、3日間に渡る撮影が本日、無事クランクアップ。写真で記録する暇もないほど、タイトな撮影でした。前回の『はだかの王さま、耳はロバ』が自分にとっては、時間と空間をパッケージする、王道の演劇の映像化なら、今回は共演者同士の身体の共振とズレを楽しんでもらう、ゲリラ的な映像化です。ちなみに、「アートにエール!」用に製作している『人間椅子』は、Ortならではの覗き見感、背徳感を映像化しています。4月5月の宿題のようになっていた「自分の演劇観を動画に落としこむ」、これから技術的には全然向上の余地がありまくりですが、ひとまずこの3本で課題提出という感じです。あ、まだ、提出は完了してないんですけどね。赤鬼と人間椅子は、慣れない編集を若者に教えてもらいながら、がんばっています。
ああ!そして、ほうかごラジオの第6回も更新されました。こちらは台本、編集に加えて、出演もしてます!
7月21日
学生から時間を有効に使うにはどうしたらいいんですかという質問を受けたんですが、待機時間を単なる待ち時間にしないことかなと答えました。休憩時間にするか、準備時間にするか、どちらか。待機解除後にすぐに動くためには、休憩と準備のどちらが自分に必要か、自分自身の状態を見極めるセルフチェックと、自主的に休憩もしくは準備に動けるセルフコントロールが大事。漢字で言うと、省察と自律ですね。
7月22日
学生たちには「やりたいことをやる」人生を選べるようになって欲しいと思ってる。自分もそれを大事にしてきたからね。で、やりたいことをやり続けるには、うまくないとできない。だから、やりたいことの一つに「うまくなりたい」を入れるにはどう導いたらいいかを考える(その前の段階の、やりたいことを見つける手助けもする)。「うまくなって欲しい」のは「やりたいことをやれるようになって欲しい」から。「うまくなくてもいい」という言葉は、励ましの言葉としては言えるけど、そこには「ゆっくりでいいからうまくなって欲しい」という願いがこもっている。やりたいことを主体的に選び取れる力を身につけて欲しい。この時代を生きる学生たちを見て、あらためてそんな思いを強くしている。まあ、自分にできることなどたかが知れてるのだけど、それでも。
7月24日
多くの人がそうだったと思うが、この1週間は各所で感染者拡大への対応策の検討に追われた。予防だけでなく、感染者が出た場合の対処をシミュレーションし、共有する。それが正しいのかどうかはわからない。でも、決めなければならない。心がすり減る。いくつもの場所で、人を率いて仕事をしていると尚更だ。
だが、そういう時だからこそ、自分の機嫌くらい自分で保とうとの思いを強くする。心穏やかに過ごしたいのなら、家で大人しくしているのが一番だ。そうできる人はした方がいい。できない立場や境遇ならば、せめて機嫌良くいようと思う。だって、みんな、心をすり減らしているんだから。しんどいのは自分だけじゃない。
7月25日
Thinkpad、メモリを32ギガに増設した結果、めちゃくちゃ快適になったが、動画編集には向かないことが判明。CPUとグラフィックメモリの問題らしく、いろいろ設定をいじってみたが、劇的な変化は無し。もともとストレージはSSDなので、これ以上の改善は見込めないと判断。Thinkpadはオフィスワーク専門にして動画編集での使用は諦めた。
3月に買ったiMacは配信用で創造舎に常駐させているため、自宅での動画編集用にWindowsノートパソコンを買うことを決意。なぜWindowsかと言うと、某助成金の申請を睨んで税込10万円以下のものにする必要があるからだ。
とはいえ、Windowsでもその値段設定は厳しい。デスクトップにして、本体のみ10万円で買って、モニター、周辺機器などは全部別計算で買えばいいんだろうけど、ノートPCが欲しいのだ。ということで、メモリは購入後に自分で16ギガ以上に増設,、CPUはi7は諦めi5にする、その代わりビデオカード搭載は譲らない、という基本方針で探すが、格安でもだいたい税抜きで12、3万する。しかも税込10万円以内にするには、税抜き9万円が上限だ。
結果、ドスパラのこれ(https://www.dospara.co.jp/5shopping/detail_prime.php?mc=9294&sn=0&fbclid=IwAR1NHqdg4fJ6rUyjOrN-zLYmhDWs8uBlB5kCjzr1DpSX0S3caRx3Tarljto)のセーフィティサービスモデルと迷ったけど、たどり着いたのがDellのNew Inspiron 15 5000 プレミアム( 第10世代 i5・最大32ギガまで増設可・大容量SSD・MX330搭載)。
https://www.dell.com/…/new-insp…/spd/inspiron-15-5501-laptop
普通に買うと税抜91980円なのだが、実はアカデミック割引があって大学の教職員なら19%割引されるのだ(学生も割引)。届くのは4週間ぐらいかかるが、文句無し。
さあ、これで助成金申請書類を出すモチベーションが上がったぞ。この土日に書いてみよう。
7月26日
ご観劇いただいた皆様、ありがとうございました。今回、初めて撮影と編集にも挑戦しました。演者の二人が直接会わなくても「共演」してもらうにはどうしたらいいかを詰め込みました(笑)。この方法だから、榊原さんに再び出演していただけました。感慨深いです。ぜひ、ご感想をいただけたらと思います。これから観るよという方、6分45秒からご覧ください。
『泣いた赤鬼』が終わり、次の創作はこちら。
本番は8月22日(土)。8月7日から稽古開始予定で二週間で一気に創ることになる。気心の知れたメンバーとだから、この短期間で創れる自信はあるのだが、一方で、果たして今どんな稽古なら可能かをあれこれ考えている。なぜなら、できる稽古によって、できる作品の内容を変えなければならないし、それに合わせた台本を今月中に書かなければならないからだ。上演はリアルで行うが、稽古はギリギリまでオンラインで進めるなんてできるのか、また、それを可能にするには、どんな構成の作品にすればいいのか。うーむ、またまた難問だなあ。
7月27日
ざっくり言って、演劇始めて10年で自分の才能の限界を知り、次の10年で自分の努力の限界を知り、その次の10年で自分の経験値の限界を知った(←今ココ)という感じだ。これからの10年は何の限界を知る10年になるかな。逆に言うと、この50代、限りある才能と努力と経験値に加えて、自分は何で勝負するかなってことだ。人脈だろうか、好奇心だろうか。財力じゃないことだけは確か(笑)。さらに、その次の10年は「勝負しない」っていう選択でいきたいなあ。
久しぶりに、この動画を観ました。映画監督の手塚悟さんによるTheatre Ort『想稿・銀河鉄道の夜』の札幌公演の予告編映像。たちかわ創造舎B棟「たまがわみらいパーク」のドレミホールで撮影されたものです。手塚監督の長編映画『Every Day』はとっても素敵な映画。おすすめです。
7月28日
庶民のたくましさ、なんて言葉は死語になっちゃったなと思う。抜け目なさとか、ずる賢さとか、立ち回りのうまさとか、マイナスにとられる側面もあるけど、庶民のたくましさの基本は、お上との是々非々の付き合い方。お上の決めたことが正しいとは限らない、という反骨心。気骨ともいうね。二枚舌だろうが、面従背反だろうが、お上の作る制度に使われるのを良しとせず、制度を使いこなしてやろうという心意気。
そんなたくましい庶民よりも、物分かりのいい善人になりたがる人が増えたと思う。演劇界でも。しかも、正しさを支持することが善人だと思ってるから、正義をまとったように見える権力に疑うことなく服従して、そんで搾取されても気づかない。でも、自分が望んで正しさに従ってるつもりだから、隷属しちゃってるとは思わない。端から見てると歯痒いけど、まあ、本人が気付いてないなら、余計なお世話を焼くのもと思う。ご近所のお節介も死語だな。
でもなあ、やっぱりなあ、お上が作った助成金とか補助金の制度、庶民のたくましさで使いこなして欲しいと思っちゃうなあ。油断のならないヤツがたくさんいた方がいいと思うんだよね。
7月29日
「公私混同」という言葉があるが、これは何を混同しているかというと、決断の基準を混同している。「公」の基準は「(他者の)専門性」に基づく決断であり、「私」の基準は「私の、あるいはみんな(私集団)の気分・感覚」に基づく決断である。私たちは本来、公・私の区別をつけ、基準を使い分けながら、その場に応じた決断をしていく。
しかし、「私」の尊重が強すぎると「公」において合理的でない判断が下されることが多くなり、逆に、「公」を尊重しすぎると「私権」の制限が生まれるという危険性もある。後者への警戒感を常に持ち続けることには賛成だ。
だが、「公」の場で、「みんながそう言っている」「どうせなら、せっかくなら」「なんとなく~感じ」「もやっとする、すっきりしない」「こんな人だと思われたい」という理由で、専門性より気分や感覚を優先された判断がされることにも強い躊躇がある。上から下まで「公私混同」が行きわたると「公私混迷」が起き、決断できない、中途半端な決断をする、決断を修正できないという事態になってしまうからだ。
私自身は、自分の気持ちや感覚というものを、単純には信用していない。気まぐれだし、少々過敏だからだ。そんな不安定な気分や感覚を「公」の場で尊重されたいとも思わない。けれども、直感力はある。それを他者の専門性による検証に委ね、直感と検証が合致した時は迷わずゴーを出す。しかし、もちろん、ズレがあることも多い。そのズレを前にした時、どうするか。
法人としての判断は「公」強め、個人事業主としての判断は仕事自体の公的レベルによってケースバイケースに、私人としての判断は「私」強めで行うようにしている。今回のような大規模な緊急事態に限らず、そうしたバランスシートを微調整しながら、日々決断している。
それでも、失敗や判断ミスは当然起きる。力不足と言われればそれまでだが、万能でも完璧でも予言者でもない。しかし、プロセスを検証しやすく、失敗から学べるようにはしている。できることは、それが精いっぱいだ。
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