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2017.12.03->2018.12.03

365日経った。1年経ったと思うと感慨深い。

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ちょうど1年前。
病気が見つかり、母にすぐさま電話したことをよく覚えている。

「あれだね。宇多田ヒカルもなってた病気だしね。うん、大丈夫だと思うけど、いつ手術しよっか?あれだよ、一応体弱いからね、私達親子。そうね、父ちゃんには年末まで黙っとこうね。」
「冷静に、うんちくを語るのと、スケジュール決めて進行していこうとするのやめなさい。うん、私も親父に今すぐ言うのは止めたほうが良いと思う。心配性に拍車がかかるし。うーん。すぐさま仕事が休めるわけでもないし、どこで手術するかとか、いつ出来るかもあるから。そうさな。ちょっと1週間ほど考える時間ちょうだいよ。また連絡させて欲しい。」

電話を切ってからのことは、正直よく覚えていない。

「うわぁ〜手術か。しかも、この病気どうなんだろ。あれ、大学友人のあいつ、近しいものになってたとか言ってなかったっけか。そうだ、ちゃんと調べなきゃ。連絡取ってみよう。」

といった思考を巡らせながら、街を徘徊していたように思う。とにかく家に帰りたくなかった。一人で病む経験は幾度となくしている。それは、こりごりなので、どうにかこうにか切り拓くことを考えたが、ポジティブな思いとは裏腹に、脳内思考はネガティブルート一直線であった。

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ちょうどこの日は友人の誕生日で。本人主催でバースデーイベントが行われていた。さすが、スナックのママを目指す女は違う。

「美味しいご飯を食べたら少しは落ち着くだろうか」

と思い、そのイベントに足を運んだ。
美味しいおばんざいとお酒と笑いのある祝いの空間に包まれて、ネガティブだった思考は少し和らいだ。友人に経緯を話したら、

「それは心配やな。でもクラタならな、大丈夫だと思うで。しっかり時間とって治しや。会社にも言いや。君のとこの社長はちゃんと理解してくれるやろ。」

とお酒を注がれる。「ふふふ、確かに。」と目から涙を溢して、お酒を飲み干した。

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そこから先は、思い返せば目紛しく。

年度末進行の2月真っ只中に実家のある鳥取に戻って1ヶ月弱休職出来たのは、社長や総務のお姉さんを始め、日頃お世話になってるメンバーのおかげ。無事に入院・手術・休養して、京都に戻って来れた時は、社会復帰出来るか心配でしょうがなかったけど、年度末進行のおかげでそんなことを考えるのも無意味だったように思う。取り越し苦労だ。

このnoteを見てる人はご存知かもしれないけど、父親の個展の手伝いで定期的に鳥取に帰る生活をし、この活動を通した新たな繋がりが生まれたり。
京都は京都で、仕事は新しいポジションをいただき、慣れないことに奮闘してみたり。日々は、今までよりもゆったりしっかり自分の時間を確保して、飲む時は思いっきり飲む。遊ぶ時は思いっきり遊ぶ。ON/OFFも裏表もない人間ではあるけど、それでも"思いっきり"を楽しむ。

そんなことをしていたら、ラスト20代の誕生日を迎えて、そこからまた1ヶ月経っていた。怒涛で穏やかな1年が終わっていた。

私はまだまだ、ボーナスステージの渦中にいる。

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昨日、京都コンサートホールにいた。
縁あって、岸田繁「交響曲第二番」初演を聴くことが出来た。心地良いクラシック音楽に包まれながら少しだけ良い睡眠をとることが出来て本望。私にとってクラシック音楽は子守唄のようなものなので、眠くなってしまうのは致し方無い。「退屈」という態度の表れでは無いのだ。

帰り際にふと1階のオブジェが気になり、仲間内で覗き込みに行く。

「これ何かな...動物?羊???」
「ぁ、もしかして干支じゃ無い?ほら、馬、巳、龍!」
「なるほど...おや、真ん中にあるもの。なんなんですかね。」

円盤に刻まれたもの5人がかりで解読しようとする。
他の4人が好奇心旺盛で「これは?これは??」と目を輝かせているのに対し、私は少し冷やかだった。

「やめましょうよ。解読してしまったら、絶対、異世界への扉が開かれますって。っていうぐらい、魅力的なレリーフっすね。お〜怖っ。」

実家の父親の書斎に、これとよく似た置物があったことを覚えている。
「過去」の私に詳しく尋ねれば、この円盤のレリーフは解読出来たかもしれない。でも「現在」の私は、それを怖がっている。「過去」と「現在」は別人だ。じゃあ「未来」の私はどうだろう。それは誰にも分からない。

「未来」の私よ。辛くなって、この文章を読み返すことがあれば、この「過去」の私の言葉を思い出して欲しい。

「過去」の私達は"生きる"ことを選択した。例え、あなたが全てを無に帰す選択をしたとしても、私達は「未来」の私である、あなたのことを恨むことはない。ただ、"生きたい"と思った1年があったこと。支えられて周りとの関係性を見直した1年があったこと。自分と深く対峙した1年があったこと。そのことは、どうか無かったことにしないで欲しい。それが「現在」であり、「過去」となる私からの祈りです。

どうか恐れず捲ることをやめないで、最後まで自分だけのお話を紡ぎ続けることを。

いただいたサポートで本を買ったり、新しい体験をするための積み重ねにしていこうと思います。