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遠く通じる名前

京都は項垂れるように暑い。実家のある鳥取の方が涼しい。炎天下の鳥取砂丘の方が涼しいなんて、どうなってるんだよ京都。
おまけに自宅のエアコンが不調で、この1週間は冷気の元で眠りについていない。さすがに生命に関わるので、大家さんに申し出たら、気前の良い好々爺は新品のエアコンを用意してくれると言った。ナイス大家。

そんな劣悪な環境で過ごしているわけだが、持ち前の何らかが発揮されて、ヤバいと思いながらも楽しんでいる。そうすると、夢の中で過去の記憶に出会えることが多い。今回はそんな話。


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小学生の頃、自分の名前を親にインタビューして発表するといったような授業があった。その時に聞いた、とある子の発表内容をよく覚えている。

そいつと私は、小中大と同じ学校だった。高校は彼女が県外へ出てしまったので一緒ではない。大学で再開した時、「腐れ縁過ぎるなぁ」なんて思わず笑ってしまった思い出がある。そんな子。

そして私は彼女の名前を好んで呼んだことはない。苗字の響きが呼びやすく、そちらばかりを呼んでいた。彼女の名前は、サバサバしてクールな彼女にはどこか相応しくないように思っていたからだ。

そんな彼女の名前は「エリ」と言う。彼女の発表はこうだった。端的に言うのも、また彼女らしい。

「海外でも通用する名前にしたかったから」と父が言っていました。「エリ」は、「エリー」と発音してもらいやすいからだと。

「あぁ。こいつは、留まることはないんだろう。」

10歳ぐらいだったと思う。当時の私は素直にそう思ったのだ。
彼女の立ち振る舞いも家庭環境も知っていたけど、彼女はこんな片田舎にずっといることはないんだろうな、と直感的に思ったわけだ。

その時の私の直感は、思いっきり当たった。
京都で3年ぶりに再開した彼女は、入学当初から海外留学に向けてずっと準備をしていた。準備の甲斐あって20歳を過ぎたら留学をした。卒業式も新たな留学をするために同じ場に出席することはなかった。確か、卒業前に会ったような記憶がある。

最後に会った時は数年前のことで、「モロッコで現地集合・現地解散しよな!」と中学時代の友人も交えた3人でキャッキャしていた。私は暴走する2人を見ながら、「あぁ、まぁそれもえぇんちゃう。お前らとだと、楽しそうだし。」なんてニヤリとした。私は当時から、頭の回転が速過ぎて何が飛び出すか分からない彼女達に返答していくのが楽しかった。それは何年経っても変わらないわけだ。

そんな彼女は現在、アーティストとして認められて、遠い地で制作活動に従事ている。きっと彼女は向こうで「エリー」と呼ばれてるんだろう。


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そういった記憶。ふと思い出した記憶。起き抜けに飲み物を飲んで懐かしんだ記憶。早くエアコンが新しくなってほしい。


ちなみに私の名前は、2つ用意されていて、私の生まれた姿を見た父が直感で今の名前に決めたそうだ。同じ画数と似たような字面であったが、今の方が私に合っていたとのことだ。
この話を友人達に話すと、「うん。今の方が合ってるから良いんじゃないかなぁ。」とだいたい言われる。その度に私は「そう?烏滸がましくない?」と返してしまう。今でこそ受け入れているわけだが、10代の私はこの名前が心底苦手だった。そうだなぁ、ガラじゃない気がしていて。

そんなこともあり、私は自分で自分の名前を呼ぶことも滅多ではないし、呼ばれる際も苗字がベースとなったあだ名が多く、名前で呼ばれるのは稀である。

ただ、海外に行った時や海外の方とお話しする時は、時折この名前を説明することがある。私の名前は、漢字でも現地の言葉での説明も可能だ。そういう意味では私の名前も遠く通じる名前であるとも言える。

けれども、説明するたびに「おいおい壮大な名前つけやがって...」なんて父を軽く恨む。

名は体を表している。
私はそうなれているだろうか。

「身丈に合うように生きたいなぁ」と思えるようになっただけ、過去よりかは進歩してるんだろう。そう思おう。

いただいたサポートで本を買ったり、新しい体験をするための積み重ねにしていこうと思います。