30歳になりました
2019.11.02。ちょうど30年前の1989.11.02に生まれたので、30歳になりました。生誕時間は夜でして、どうにもこうにも夜行性万歳人間なのか。誕生日当日の夜は仕事の打ち上げをしていて日本酒飲んで元気に過ごしていました🍶翌日は職場でお世話になってる先生方全員にお会いし「クラタさん、おめでとう!そして年齢不詳感が増したね!!」って言われまくりました(ありがとうございました)
そして、ここから、30歳になったぞ記念で、いくつか綴っておこうと思います。
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突然ですが、自分が30歳まで生きるとは思っていませんでした。
「ロックスターは27歳で死ぬ」
という言葉とは無関係(これはこれで素敵な考えですが)に
早く人生終わらせたいな。たぶん30歳までには死んでるんじゃないかな。
と幼いながらも常に思っていました。幼少期の楽しかった頃のピークというのは、図工教師の安田先生が担任してくれた10歳だったか。以降は知れば知るほど面倒くさいことや絶望が増えていく。知りたかった世界は沼だらけ。あまり生きることに対して魅力を感じていませんでした。鳥取での18年間というのは、私にとって灰色の時間があまりにも多かったのです。
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この考えは、京都に進学・居住を変えてから一変します。京都精華大学という場が軸となった生活を送ることで、世界が灰色に見える時間は消え失せていたのです。大学卒業後もお仕事をさせてもらったり、先生や在校生と交流があったりと、今でも切っても切れない関係を続けています。それは、京都だけでなく、東京や日本全国、はたまた世界へとネットワークが広がったからでしょう。
人生は誰のものでも無い私だけのもの。
私は知らない世界を知り続けたい。
だから、現在をちゃんと生きていたい。
死にたがりは本来の好奇心を取り戻し、さらに磨いていこうと思うのです。10年前、ちょうど20歳の誕生日は、木野祭という京都精華大学の学園祭の中日。当時はまだ飲酒が可能だったので、先輩や先生達から、いろんな種類のお酒をしこたま飲まされ、同期が出店していた屋台のコタツに足を入れて横たわっていた記憶がある。皆、あの時はありがとう。そんな20代の幕開けだった。それまでとは違う世界が広がっていました。
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楽しいことや嬉しいこともそれなりに、苦しいことや悲しいこともそれなりに。目紛しい20代を日々を進めていく中で、転機になったことがあります。
1つは、大事な人達との別れ。祖母達、京都に来るきっかけになった恩師、親父の親友。永遠に逢えない人達もいれば、友人達や職場との一時の別れ等。幾度となく来るそれに涙を浮かべたり笑って送り出したり。いろんな感情が交錯する。その度に自分の在り方を再確認しました。
もう1つは、昨年行った入院・手術。2年前、28歳の誕生日後に違和感を覚えて病院に行ったところ、婦人系の卵巣嚢腫という病気が見つかりました。卵巣が腫れあがり「摘出しないと陰性か陽性か判断つかない」ということで幼少期ぶりの入院と初めての全身麻酔。病気発見から回復するまでの半年というのは、どこか浮世離れしていたものです。フワフワと世界を漂う感覚で日々を過ごすというのは、この世とあの世の狭間にいるような気持ちでした。麻酔から醒め、呼吸困難で酸素ボンベを取り付けられた時にボンヤリした意識の中で思ったことがあります。
呼吸ってこんなにしんどかったっけ。息ってどうするんだっけ。うわ、酸素美味しい。身体が欲してる、なんだこの感覚。これが生きてる、ってことか。凄いな、もう一度生まれてきたみたいだ。
あの日から現在まで、自分は生まれかわってボーナスステージを生きてるような感覚で過ごしている。何を怖がる必要があるのだろうか。
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というわけで、ボーナスステージに突入したまま30歳になったわけです。拠点は京都から鳥取へ。職場は大学なので、いまだに学生に間違えられます。
私は高校時代、志学科コースというクラスに在籍していて、「美大進学のために画塾に行きたいから補講を免除して欲しい」とテストと模試の成績を対価に交渉するような問題児だったのですが、3年間担任してくれた伊藤先生がある時に話してくれた「論語」のことを今もずっと覚えています。
子曰、
「吾十有五而志于学。
三十而立。
四十而不惑。
五十而知天命。
六十而耳順。
七十而従心所欲、不踰矩」。
[口語訳]
子曰く、、
「私は十五歳のとき学問に志を立てた。
三十歳になって、その基礎ができて自立できるようになった。
四十歳になると、心に迷うことがなくなった。
五十歳になって、天が自分に与えた使命が自覚できた。
六十歳になると、人の言うことがなんでもすなおに理解できるようになった。
七十歳になると、自分のしたいと思うことをそのままやっても、
人の道を踏みはずすことがなくなった」と。
(『論語』・旺文社)
参照URL:http://www2.odn.ne.jp/kotowaza/BBS/36-sigaku.htm
15歳の頃、「美大でデザインの勉強したい」という志を立てた私は、30歳になって紛いなりにもデザインを軸にした仕事をするようになりました。日々の中で学生時代や今も学んでいるデザインの考えは何処かしらに活きている。「而立」でいうとこの基礎と自立が出来ているかは分かりませんが、今までの経験を集めて、毎日毎日、昨日とは違う現在を生きようと努めてはいます。
同じことの繰り返しは少しつまらない。過去と現在が積み重なって未来になる。趣味のタイポグラフィは巡り巡って、ちょっとしたライフワークになろうとしている。好きで追い続けていることはいつか芽吹くのかもしれない。生き続けているとそんな発見もある。だから、まだ生きてたいなと思う。
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私は人生についてこのように考えています。だから昨今の「女性」「未婚」「肩書き」といったような記号論で私に語りかけてくるような人がいればスッと逃げるでしょう。私は「蔵多優美」という人生を日々紡いでいるだけなので、それ以上でもそれ以下でもないのです。ただ、目の前の相手と如何に向き合うか、なので。
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オオタサトシ(@osatosh)さんの「美しいまま殺す」という絵に一目惚れして、20代終えて30代始める自分へのプレゼントということで購入しました。
一瞬一瞬を大切に。美しく。両親が名付けてくれた「優美」という名を30年かけてようやく受け入れることが出来たので、恥じぬように。
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当面の目標は
生きてるうちにスイス・バーゼルでタイポグラフィに埋もれたい
でしょうか。また病気にならないうちに行ってみたいな。いや、行こう。それと英語をちゃんと話せれるようにというか、触れる機会を増やして、道を尋ねられた時はいつでも返せるように出来たらなと。
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それではまた、長い旅路の何処かでお目にかかりましょう。あの時のようにラリーとワルツを。そして新しい世界で、また。
いただいたサポートで本を買ったり、新しい体験をするための積み重ねにしていこうと思います。