セルフ春休み
「まぁ春休みですからね。」
そんな言葉を聞いて、拍子抜けする。
しばらくの間、企業に属して働いている身からすると、この時期は年度末。
春を喜ぶ暇もなく。過ぎ行く様は、"真の師走"とも呼べる。
そんな最中に、母と弟が京都へ遊びに来て花見をしたり、友人の家に泊まって夜中はDVDを見ながら寝落ちする。
そんなことがこの3月に起こっている。ここ数年では考えられなかった年度末の過ごし方。幸せでゆるりとした誰かとの時間。
慌ただしさの戦場で毎回自死したり、セルフサンドバックな気持ちになっている身としては、なんだか人として生きてて良いのだよと認められたような、そんな感覚だ。
(あぁ。春を楽しんで、良いんだ。)
どこかに属している以上、まとまった春休みを取る人は、少数派だろう。
そうだとしても、たまの休日や早く帰れた平日は、誰かと何かを分かち合い喜び合える。忙しい日常だとしても、心一つで、毎日は新しい発見があり、好奇心で満たされていくのだと、思い直せる。
当たり前のことだと思われるけど、人によっては出来ていなくて、出来てたけど出来なくなっちゃって。
だって、当たり前のモノサシは人それぞれだから。
私は、出来なくなってしまった人間だった。
この数年でどんどんと、自分のモノサシが短く脆くなり、危うさが身を蝕んでいる。分かりつつ受け入れていた。抗う元気は、とうの昔にそこを尽き、それを元に戻す元気さえ見失っている。
ただ、誰かの一言や行動で、まだまだ戻って来られる人間だということにも気づいた。そのきっかけで、自分の中に眠る何かしらがキラキラ輝くことも思い出した。忘れて、思い出して。ずっとその繰り返しで、一生は。
変わらないかもしれないし、何も起きないかもしれない。
ただ、"気づき"というのは、それだけで幸せなことなのだ。
今は、そういう結びを記して、限りある一生を消化する。
甘酒が好きな友人がいてね。
手土産に持って行った時に「これでも美味しいけど牛乳で割ると美味しいよ」なんて教えてくれて。
その時の一言が心の中に残っていて、昨日泊まらせてくれた友人と銭湯帰りにやってみた。
生まれ育った鳥取で毎日飲んでいた"白バラ牛乳"と八海山の"あまさけ"。
美味しいなんてもんじゃない。
ここは、天国か、楽園か。ヘブンか、ユートピアか。
そういう発見を毎日していくのも楽しいよね、なんて思い出した。
思い出せて良かった。
春休みが無いなら、"セルフ春休み"を作れば良い。
自分が声に出して「春休みだ」といった瞬間から、そこから先は春休みだ。
想像力まで欠かしてはいけないのだなと改めて思う。
いただいたサポートで本を買ったり、新しい体験をするための積み重ねにしていこうと思います。