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息を吸って吐いてるだけで素晴らしいんだと

初めての手術から気付けば10日が経っていた。
既に退院して実家で療養生活を送っている。腹部の傷跡を見る度に「最新の医療スゴいなぁ。」と感心してしまう。傷口は思っていた以上に広がっていない。内視鏡手術は回復が早いようだ。


全身麻酔が解けた日は、とてもしんどくて、上手く睡眠する事が出来なかった。私の地元の方言で言うと、"えらかった"。

麻酔から目覚めると、ぼんやりした視界が広がっていた。眼鏡が無いと何が何やら。分からないなりに口元で息が白く吐き出されていることに気付く。自分が酸素マスクを着用しているのだと分かった。マスクに手を添えて形を確認する。
手術室に入った時から感じていた”医療ドラマの患者役になった自分”がずっと続いているようだ。夢なのか、現実なのか、良く分からない。曖昧なまま、物語は進んでいく。

意識がだいぶハッキリしてきて、思っていた以上に患部が痛く無いと感じた。
「なんだ、怖がってた割には、無事に起きれたな。楽勝かも。」と安易に考え、看護師さんに酸素マスクも外してもらい、安静に、と目を瞑る。

しかし、これが全く眠れないのだ。目を瞑っても何らかの違和感が全身を襲う。麻酔が切れてきて、患部が痛み出してくる。脳は、ぐるぐると廻る。視界が1回転して、全感覚が麻痺してくる。2日酔いの状態にもほどがある。
何度もナースコールを鳴らし、痛み止めや酔い止めの点滴を投与し、最終的に外してもらった酸素マスクを再度着用して、なんとか眠りについた。

“自分1人では何も出来ない”ということを、痛く、酷く、痛感した日である。
呼吸をすることさえままなら無いほどに何も出来なかった。人は弱ると無力だ。

当時の様子を入院期間中にスケッチで残していた。
やはり術後が一番"えらかった"。


翌日の夜からマスクが外れ、ようやく食事が許され、口にする食べ物が流動食から固形物になる。

「白米ってこんなに美味しかったっけ。」
「栄養管理士が作ったご飯は、バランスがとても良くとれてるなぁ。」
「水がお茶が美味しい。喉を潤す is 最高!」

食事の大切さが分かる。美味しいものは美味しいのだ。

点滴が外れた瞬間に
「あぁ。自分の身体だけで栄養素を循環させないといけないんだなぁ。」
と思った。
縦横無尽に身体の中を駆け巡っていた電解質がいなくなるのを寂しいと感じた。


退院した日は、日本海側で大雪が降った日で、鳥取でも30cmほど積もった日だった。

病院の玄関を出て、久しぶりに外の空気を吸う。寒過ぎる外気が肺を満たす。それを吐く。
「ははっ。冷たくて痛いね。でもシャバの空気は美味しいや。」
と母に笑いかけ、雪道を歩く。

一歩ずつ歩みを進める度に
「おぉ、動いてる。生きてる。あぁ、ちゃんと自分の足で立ててる。」
って思ってしまい、泣きそうになった。

口元から目の前に浮かぶ白い吐息を見て、なんだか誇らしい気持ちになる。
「あぁ、まだ生きてて良いらしい。」

息を吸って吐いてるだけで素晴らしいことだ。
多少の体調不良があり入院期間は延びたものの大事には至らなかった。また自分の力で生きている。もうそれだけで十分だろう。


今日は久しぶりに外出をして長時間歩いたり立ってみるようなリハビリをするつもりだったが、気付けばベッドとこたつの中でスヤスヤと眠っていた。
起きたら喉が乾いて、咳をして噎せた。痛かったけど、そういう動作が出来ていて毎回気持ちが昂ぶっている。

目指すはスムーズな社会復帰であるが、当たり前のことを当たり前に出来る毎日を過ごせているだけで今は十分だ。少しずつ始めよう。

いただいたサポートで本を買ったり、新しい体験をするための積み重ねにしていこうと思います。